2007年3月29日木曜日

「輪西のグリーン・モール」


~ 撤去された住宅の跡地 ~

昨年九月大沢小学校の「地域を学ぶ日」に

昔の大沢・輪西地区の思い出を話した

学校に行き校長先生にお聞きしたのは

「今でも子供達は何条通りと呼んでいるのですか」

「呼んでおります」と

昭和三十九年住居表示に関する法律で

何丁目何番何号に変り文書ではそう書く様になった

会話では「南条通り」が生きていた

明治から 親から子・孫へと使い親しまれた呼稱は

今の子供達も使っていた

輪西で一番広い通り七条通りのグリーン・モール

終戦直前防火帯に強制撤去させられた住宅の跡地
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.62」2001.1.15 室蘭民報掲載

2007年3月27日火曜日

「輪西駅」


~ 時の流れに感慨よぎる ~

昭和十九年室蘭中学校へ入学

輪西駅から通学

駅の待合室は通勤・通学の人で一杯だった

その二・三年前位だったか

父が大阪駅で室蘭本線輪西駅と言うと

印刷された切符が出て来たと

昭和二十六年室蘭製鉄所と変る迄

長い間輪西製鉄所と呼んでいた

全国から多くの人が集って来た

昭和三十年代後半から通勤は自家用車に変って来た

通学もバスが増えた

昭和四十二年自動車保有一千万台

昭和四十八年運転免許二・七人に一人所持

交通体系が大きく変る

駅入口の重い戸が懐かしい
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.61」2001.1.14 室蘭民報掲載

2007年3月26日月曜日

「ファレノフシス」


~ 新成人おめでとう ~

今日成人になられる方

ご家族の皆様おめでとうございます

今年から成人の日が一月の第二月曜日に変った

連休を多くするのが主旨の様だった

成人の日が国民の祝日の一つとして

毎年一月十五日に制定されたのは

昭和二十三年(一九四八年)

二十年前昭和五十六年(一九八一年)の年鑑を見ると

ファクシミリ電送開始 福井謙一にノーベル化学賞

北炭夕張でガス突出事故

テレビ「夢千代日記」「北の国から」

流行歌「みちのくひとり旅」

流行語「粗大ゴミ」「ぶりっ子」

室蘭では三大大型店の同時開店
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.60」2001.1.8 室蘭民報掲載

2007年3月24日土曜日

「どんど焼き」


~ はやし言葉に由来 ~

六日松納め

家の外の正月飾りをはずすと書いていたので

神社にお聞きすると七日迄で良いとの事

元旦年始の挨拶に行く時

家の近くでは玄関に飾りのない家が多かった

歩きながら気になり注意して見ると

どの家の玄関も飾りがついていたし

中には注蓮縄を張っている家もありドキッとした

暮に神社からお神札を頂戴した時別紙の説明書の中に

古神札焼納祭(どんど焼)の文字を見

正式名稱を初めて知った

どんど焼を調べると行事のはやし言葉に由来する語と
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.59」2001.1.7 室蘭民報掲載

2007年3月23日金曜日

「正月の和食器 五客揃え」


~ 華やかな気分で「一杯」 ~

二十一世紀の新春 おめでとうございます

正月の器を買い揃えて何年になるだろうか

長い間正月だけより使わない物は無駄な物と思っていた

娘達が高校を卒業し進学した頃だったろうか

娘達に正月の器を見せておかねばと気が変わった

座卓の上に白のテーブルクロスだけでは様にならず

朱塗の半月盆も揃えた

黒豆は 煮物は 刺身はとそれぞれの器に盛る

華やかで正月の気分になる

娘達が結婚し人数が増えたら和食器の五客揃えは

数が足り無くなった
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.58」2001.1.1 室蘭民報掲載

2007年3月22日木曜日

「新年に彩り添える千両」


~ お膳について年越し ~

大晦日の思い出となると六十年近く遡る

小学校一、二年生の頃迄だったか記憶は定かでない

午後三時風呂屋へ行く

家に帰って下着を新しい物に着替える

今は無いが裏毛のシャツとズボン下

今のトレーナーの様な材質だった

一年に一度だけ着る着物 木綿の絣

ゴワゴワして染料と樟脳が匂う

着物も羽織も肩上げをとっていた

弟も同じ絣の着物を着る

妹の着物の生地の事は憶えていない

五時過ぎ普段は卓袱台で食事だが

一人ずつお膳の前に座り年越しが始る
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.57」2000.12.31 室蘭民報掲載

2007年3月21日水曜日

「篝火花(カガリビバナ)」


~ 十二月に代表する鉢花 ~

売場には沢山の花が並んでいるが

十二月の鉢花の代表格はポインセチアとシクラメンだろう

前者はクリスマスの花として有名

後者は十二月の花として定着した

花の咲き続ける期間も長い

夏は庭に置くのだが低音が合っている様だ

和名のカガリビバナは牧野富太郎博士の命名

なるほどと思う

もう一つの別名ブタノマンジュウ

辞典を見ると西洋でブタがこの球根を食べるので

サウブレンドの名があり これを訳して

前者の名にサクラソウ科シクラメン属

属名が一般的な呼び名
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.56」2000.12.25 室蘭民報掲載

2007年3月19日月曜日

「娘たちへのクリスマスプレゼント」


~ 喜ぶ声が翌朝に響く ~

昨年は娘から電話で

「玩具のパソコンが手に入らないだろうか」

商品名をメモし二・三の店に聞いたが

年内入荷の見込みなしとの事だった

その娘達が小さかった頃

二十四日の夜は勤めを終ると玩具店へ直行

店の人に聞きながら二人のプレゼントを買い

家の外の物置きに入れる

「ただいま」と部屋に入ると二人の目は手許を見る

何も持ってこないがっかりした顔で寝る

翌朝は大喜びの声

そんな声で起される

小学校何年生位まで続けていたのだったか
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.55」2000.12.24 室蘭民報掲載

2007年3月18日日曜日

「ローソク岩と絶壁」


~ 干潮時に結ばれる ~

地図を拡げると

イタンキ側絶壁の起点は大沢町三丁目の端で

子供の頃からローソク岩と呼んでいた二つの岩は

御前水町二丁目になっていた

ここからイタンキ岬(鯨半島)まで

大沢町 みゆき町 東町と三町にまたがっている

画面のローソク岩との間に低く見えるのはトッカリショで

母恋南町三丁目

最初の個展ハガキ絵八百日展の時にも

この近くを描いた絵があった

何人かの人から絶壁の下を指し

潮が引くとローソク岩とつながり

この裏も歩いて行ける様になり

子供の頃行きましたとお聞きした
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.54」2000.12.18 室蘭民報掲載

2007年3月17日土曜日

「潮見公園展望台」


~ 今も消えぬ斜面の傷跡 ~

右側鉄塔の上に潮見公園展望台がある

ここからの眺望は日頃見なれた景色を

上から見おろすので一変する雄大な眺めである

数年前いぶり植物友の会のT氏は

「この展望台下の急斜面を車で乗り廻す者達がいて

斜面の土はえぐられここに沢山咲いていた

エゾカンゾウが無くなってしまった

本人達は面白かったのだろうが

一度壊した環境は簡単には復元しない」

と怒りを込めて言っていた

草丈の長い夏場は近づかないと判らないが

冬になると十数年前の車輪の跡が

遠くからでもはっきり見える
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.53」2000.12.17 室蘭民報掲載

2007年3月16日金曜日

「鯨半島・イタンキ浜」


~ 絶景を望む東京の友人 ~

今は東京に住む友人が奥方同伴で来た

東京生まれの東京育ち

飛行機嫌いで北海道は初めてと言う

輪西の友人の運転で室蘭観光のスタートはここだった

「主人の友達の方が家で鯨半島・イタンキ浜の名前は

何十篇も聞かされておりました本当に素晴らしい所」と

浜には降りず観光道路を廻り港一望の店で

遅い昼食をとり室蘭駅から乗車した

北九州から来た友人の時は白鳥大橋を渡り

逆コースでここに来た

奥さんは鳴り砂海岸の絶壁を見たかった様だが

時間が無く東室蘭駅に直行した
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.52」2000.12.10 室蘭民報掲載

2007年3月15日木曜日

「イタンキ浜に連なる断崖」


~ 絶壁に咲くコハマギク ~

二年前の秋この砂浜を歩いて絶壁の上を見上げると

黒い帯状の部分に白い点の様なものが見えた

寺地憲一氏は室蘭の地形地質の中で

壮大で圧倒的な凝灰岩 集塊岩の瓦層で

高さ一〇〇メートル前後・・・・・と

昇れないしと思いながら春先長雨の後

上から落ちた岩石の事を思い出しその場所に行った

その岩の土のついている所に白い花が咲いていた

図鑑で調べると生育場所は海岩の岩礫地・断崖

高さ二〇センチ位の多年草コハマギクだった

写生した

地球岬の断崖にも咲いていると聞いたが見ていない
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.51」2000.12.04 室蘭民報掲載

2007年3月13日火曜日

「イタンキ浜の旧ゴルフ場」


~ いまも残る浜への近道 ~

中学二年の夏まで輪西に住んでいた

イタンキ浜に来るには今の鶴中前の坂を登る

白いゴルフハウスがあり緑のゴルフ場があった

その横の路を歩き中央の岩の上に出る

岩の奥から手前を下りる

坂は急で注意しながら下り砂浜に出る

近道として今もある

ゴルフ場が白鳥台に移転したのは昭和四十一年

長い間ゴルフ場だった

そのクラブハウスを拡張した建物かと思い

室蘭ユースホステルの藤当さんにお聞きすると別だった

昭和四十七年に新築収容人員は七十二名

冬の利用者増が課題と

画家・写真家のスケッチ宿にPRは
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.50」2000.12.03 室蘭民報掲載

2007年3月12日月曜日

「鯨半島狭む四キロの砂浜」


~ 国内有数の鳴り砂海岸 ~

全国鳴り砂サミットが開催されたのは十月

参加したのは南は福岡県「姉子の浜」から

北は道東「小清水海岸」全国各地の鳴り砂を守る団体

自治体関係者 十四団体約五十名

市街地に隣接した鳴り砂海岸とこの絶景に驚嘆していた

この砂浜にアイヌの人たちがつけた地名

「ハワノタ」(声のある砂浜)に基づき

昭和六十一年に調査したところ

日本でも有数の「鳴り砂」であることが確認された

イタンキ浜で時々旅行者らしい方に

「鳴り砂の場所は」と聞かれる事がある

見にくいが中央の二つ岩の手前と応えている


「小友さんの絵手紙散歩 No.49」2000.11.27 室蘭民報掲載

2007年3月11日日曜日

「寿町三丁目沖四〇〇メートル岩礁 鯨岩」


~ 飢えに死す悲しい伝説 ~

子供の頃イタンキ浜に遊びに来ても

現在の寿町側の砂浜には来た事が無かった

伝説の沖の岩を寄り鯨と間違え

何日も流木を燃して暖をとり

その木もなくなりお椀(アイヌ語でイタンキ)迄燃したが

飢えと疲労で全員亡くなったと言う悲しい話だが

鯨半島と混同して変だと思っていた

後年寿町の蘭東下水処理場沖の岩礁

フンベシユマ(鯨岩)と聞き納得した

伝説だから時代は不明だが日高の不漁絵鞆の伝染病を

天明の大飢饉等と重ねて考えると

実際にあった話の様に思える


「小友さんの絵手紙散歩 No.48」2000.11.26 室蘭民報掲載

2007年3月10日土曜日

「鷲別岬に連なる丘陵」


~ 眼下の海辺一面の砂浜 ~

鷲別岬に連なる丘陵で足許は笹ばかりに見えるが

初夏にはエゾカワラナデシコのピンクの花

夏には木いちごの赤い実と山野草も豊かな丘陵である

この馬の背の様な場所の右下には人家があり

その下を国道三十六号線が走る

前方の鯨半島(イタンキ岬)の逆方向に汐見トンネルがあり

国道下の海辺は一面の砂浜である

この丘を下ると大小の石が沢山ある

この季節のせいかどれも漬物石に見える

波打ち際は砂浜になっている

海からの漂流物も多い

突き出た鷲別岬が海の流れを変えているのか


「小友さんの絵手紙散歩 No.47」2000.11.20 室蘭民報掲載

2007年3月9日金曜日

「鷲別岬の頂上展望所」


~ 海岸線から測量山を望む ~

鷲別岬の頂上展望所横から

日の出町三丁目海岸が見えると思っていたが

木立に眺望が遮られ見えなかった

笹の中の小路をゆく 笹は背丈より高かった

尾根伝いに進むと笹丈も低くなった

あの海岸がはっきり見える場所があった筈と思ったが

前に来たのは七・八年前の事

海岸に降りる路もあった

土が湿っていたので途中でやめる

海岸も測量山も見える 尾根路に戻り下る

人家に通じる路があった

そこを下ると三十六号線の下を通る随道があった

トンネルを抜け道路を下ると

日の出町二丁目のバス停近く


「小友さんの絵手紙散歩 No.46」2000.11.19 室蘭民報掲載

2007年3月7日水曜日

「日の出町の海岸」


~ 室蘭大谷高は二十七年前移転 ~

バス停日の出町一丁目と二丁目の中間に

国道三十六号線に通じる道路がある

右手に陸運支局を見ながら三十六号線を渡り

丘を越えて小路を下るとこの海岸に出る

先方の岬は鷲別岬標高一〇七メートル

この頂上に登り笹の間の小路を

尾根伝いに歩いてここに出る路もある

今の陸運支局の所に室蘭大谷高校があった

元同校の教頭Y氏に聞くと

高平町に移転したのは昭和四十八年八月

バイパス道路(現三十六号線)の計画で

校舎の一部が道路になる事で移転

この海は東西の黄金の滝の一つだったが

校舎移転の頃はなくなっていたと


「小友さんの絵手紙散歩 No.45」2000.11.12 室蘭民報掲載

2007年3月6日火曜日

「高砂三丁目公園前の鷲別川」


~ 人に優しく川岸を整備 ~

高砂町三丁目公園前の川岸は整備されていた

ブロンズ色のデザインフェンスの新設

川に突き出た木造のデッキ

手すりも付いている

そこに立つと川面を泳ぐ二羽のマガモが見えた

デッキの横から下のウッドチップの遊歩道に降りる

木造のスロープがありこれにも手すりが付いている

ウッドチップの上を歩くのは初めてだが

弾力のある道は足に易しい

公共事業の見直しを言われる昨今だが

身近かな場所で多くの人々が楽しめる環境整備は

室蘭土木現業所に感謝する

五ヶ年計画の完成が待遠しい


「小友さんの絵手紙散歩 No.44」2000.11.06 室蘭民報掲載

2007年3月4日日曜日

「消えゆく秋の風物詩」


~ 軒先を飾る「大根乾し」 ~

越冬準備と言う言葉を使わなくなったのは

燃料が灯油に変ってからだろうか

十月になると一冬分の石炭・コークス等の燃料と

白菜・大根等の漬物材料の話で賑ったのは

二十数年前の事だった

大根を乾している家も少なくなった

近所でも数軒で本数もわずか

ごはんに味噌汁と漬物時代の副菜の主は他の食品に変った

当時お客様の家に伺うと出されるのが丼に漬物

好きな物だからお茶を飲みながら頂く

秋から冬にかけて毎年胃を悪くしていた


「小友さんの絵手紙散歩 No.43」2000.11.05 室蘭民報掲載

2007年3月3日土曜日

「文化の日 彩る菊花展」


~ 大輪に「丹精」を連想 ~

「文化の日」も近づき菊花展の話題

身近な所では町内会の文化展

毎年あの菊を見るたび丹精の言葉が思い浮ぶ

菊は中国原産で鎌倉・室町時代に改良されたものが入り

江戸の頃盛んになり庶民のものになったそうだ

昔亡父が菊を作っていた事があった

夜は玄関に入れ天気の日は外に出していた

大輪の白い菊だった

もうすぐ満開と楽しみにしていた

何か忙しく夜玄関に入れ忘れた日があった

翌朝花のすぐ下で折られ花はなかった

翌年から菊を作らなくなった


「小友さんの絵手紙散歩 No.42」2000.10.30 室蘭民報掲載

2007年3月2日金曜日

「装い変える鷲別川沿い」


~ 五百本近い桜並木も ~

今年五月二十、二十一日に

第一回鷲別川桜祭りが実施された

川沿い約二キロ区間に五百本近くのヤエザクラ

花は咲かなかったが大盛況だった

この地区の連合町会が河川管理者の室蘭土木現業所と

道路管理者の室蘭市に防護柵の移設を要望していた

今年から五年計画で室蘭土木現業所が実施した

東高校裏手の道路は広くなった

この道を散歩する人に聞いたがここより少し下流では

これからコガモ・カモ等水辺の鳥達が飛来すると

子供の頃この川で笹の葉筋を結んで川カジカを釣った


「小友さんの絵手紙散歩 No.41」2000.10.29 室蘭民報掲載

2007年3月1日木曜日

「文化女子大学室蘭短期大学」


~ 緑豊かな安らぐ環境 ~

バスの中からは長年見慣れた校舎

高砂 水元町は室蘭の文教地区

バス停は文化女子短大前

学校の敷地に入ると真赤に光るナナカマドの実

黄褐色の桜の葉 柳の緑 森の中に立つ感じで安らぐ

親しみ易いのは落葉樹木のせいなのか

四季の移り変わりをはっきり見せる

野鳥の飛来も多いのだろう

昨年開校三十周年を迎えた

多くの人材を育て送り出した

地元室蘭と道内出身者の多い中

沖縄・本州各地から学生が来ていると聞く

短大卒業後東京の本校に編入出来る制度も

魅力の一つと思う


「小友さんの絵手紙散歩 No.40」2000.10.23 室蘭民報掲載