2007年4月30日月曜日

西三号埠頭



九日朝から濃霧測量山も見えない

港内は新日鉄から日鉄セメントのあたりが

かすかに見えるが

対岸の本輪西は霧の中

西三号埠頭バナナ船が入港した時

報道されるので名前は識っていたが

歩くのは初めて

途中建設中の埠頭

そこを過ぎると「くん蒸上屋」

入荷した青いバナナを黄色に加工する場所

建物の大きさに驚いたが

船積量も多いのだろう

子供の頃バナナは貴重品

最近バナナ船入港の報道を見ない
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.84」2001.04.15 室蘭民報掲載

2007年4月28日土曜日

「海岸町物揚場」


~ 今は海上遊覧の拠点 ~

室蘭市の地図を拡げ港を見ると

フェリー埠頭 中央埠頭

西一から西三号埠頭と記載

栗林ビル前の海側には何の記入もない

昔からある船着場で今は海上遊覧と

イルカ鯨ウォッチングの乗船場所となっている

元室蘭市職員で港湾部にも勤務したI氏にお聞きすると

「貨物の種類で区別した埠頭

水深の大きい岸壁・桟橋と

小型船や艀をつける物揚場に分類され

栗林ビル前の船着場は

海岸町物揚場と呼んでおります」と
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.83」2001.04.08 室蘭民報掲載

2007年4月27日金曜日

「国鉄埠頭トランスポーター」


~ 「東洋一」が自慢だった ~

昭和三十二年発行岩波写真文庫二二五室蘭

四年前まるぜん書店さんが

岩波書店の在庫全部を取寄せ販売するという

記事を読み並んで買った 価格も百円

国鉄埠頭の写真一頁の四分の三は野積みの石炭

その一部を参考にして描く

昭和六十年

高校卒業後初めての同期会を室蘭で開催

三十五年ぶりに来た一人が「トランポが無い」

四基あったトランスポーター

当時は東洋一と言われていた

入江運動公園の裏山だけが当時のまま
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.82」2001.04.02 室蘭民報掲載

2007年4月25日水曜日

「フクジュソウ」


~ 花言葉の意 幸福と長寿 ~

毎朝ポストに投函に行く途中

街路樹の下庭に咲くフクジュソウを見る

三月中旬から四月初めに咲く花は

山に出掛る四月末では花も終り

見分けられなくなる

花屋さんの店頭に並ぶのは十二月

福寿草の字通り

めでたい花として新春用の鉢植え

本で読んだが乾燥した根は

心臓の薬として利用するそうだが

医師の指導で服用しないと

毒性が強く死亡した人もいるという

花言葉は 幸福を招く長寿 と
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.81」2001.04.01 室蘭民報掲載

2007年4月23日月曜日

「芽吹く春の草花」


~ 食卓飾るフキノトウ ~

三月十七日高砂交番近くでフキノトウ

二十日高砂マーケット向いの庭で満開の福寿草

我が家の庭もクロッカスの芽

花の咲くのは4月初めか

この花が咲き出す頃から他の草花の芽が一斉に出る

家を建てた翌年だったか翌々年に

キョウブキを三本頂戴し庭に植えた

それが増え過ぎたが朝食前にフキノトウを採り

きざんで味噌汁にはなす

開発の功労者ケプロン顕彰碑と

苦みと香り

春を食べた様な気がする

花言葉は待望
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.80」2001.03.25 室蘭民報掲載

2007年4月21日土曜日

「入江臨海公園」


~ マチの歴史刻む碑並ぶ ~

入江臨海公園には葉山嘉樹の文学碑がある

中央の大きな石には「海に生くる人々」と

書家で元室蘭市長の長谷川遅牛氏の文字

左手の碑には小説の中の文章

「室蘭港が奥深く・・・・・中略・・・・・

大黒島が栓をしてゐる」の文

碑の横の案内板の最後に

この文学碑は港と石炭にたずさわった人々の

記念に建てられたものである・・・・・と

開発の功労者ケプロン顕彰碑と

昔水上警察署前にあった明治天皇聖跡碑も

この公園内にある
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.79」2001.03.19 室蘭民報掲載

2007年4月20日金曜日

「室蘭港横の旧栗林商会本社」


~ 六十八年の歴史たたずむ ~

三月九日岸壁近くには薄氷が残っていた

北海道警察の船が係留

船名はむろしお第二

昔この近くに水上警察署があった

その横に木造の桟橋その下で泳いだ事がある

当時は油と木片が浮き汚れていた

船の向うに旧栗林商会本社の建物が見える

港へ来てこの建物を見るとホッとする

栗林商会の社史を書いたM氏に聞くと

昭和八年完成

外壁材は英国製

あの壁に耳を当ると

室蘭港の六十八年間が聞こえてきそうだ
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.78」2001.03.18 室蘭民報掲載

2007年4月18日水曜日

「東室蘭駅西口」


~ 蘭東発展で駅舎を改築 ~

東室蘭駅

西口待合室の使用開始が

昭和三十一年四月

太平橋の完成が翌三十二年

寿橋は昭和四十一年の開通

当時蘭東地区の発展は驚異的で

駅をはさむ東西の往来も増加し

地域住民から人道橋の要望と

室蘭市の玄関口として

駅舎改築の要望が高まり

昭和四十四年十二月

当時としては全国的にも類のない

橋上駅が完成

駅の一日平均の乗降人員の最高が

一万八千五百余人

昭和十九年八丁平に飛行場建設で

一般市民から中学生迄動員された年である
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.77」2001.03.11 室蘭民報掲載

2007年4月17日火曜日

「東室蘭駅構内」


~ 座席起こし窓から乗車 ~

昭和二十年八月 戦争が終ると

客車の座席の厚い別珍状のシートが切りとられ

座席は板張りに変った

その年の九月か十月頃だったろうか

室蘭駅始発の列車が東室蘭駅のホームに入ると

座席を起し全員が立ちホーム側の窓を開ける

ホームには戦争が終り軍服の襟章をはずした人々が

家に帰る為大勢待っていた

昭和二十一年頃からは

海外から引揚げて来た人々も沢山いた

窓からの出入りが続いた

座ったまま帰れる様になったのは

何年頃からだったろうか
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.76」2001.03.05 室蘭民報掲載

2007年4月16日月曜日

「東室蘭駅東口」


~ 変遷重ねる工都の玄関 ~

東室蘭駅は明治二十五年輪西駅として営業開始

大正十年現在地に移転

昭和三年長輪線全通

現輪西駅設置で東室蘭駅と改稱

昭和六年工業都市室蘭の玄関口として

東室蘭駅と改稱し現在に至ると

小学校五、六年生の頃日曜日には

K君とスキーに行く

東室蘭駅で降り駅前通りの駅弁屋さんで弁当を買う

建物は少なかった

現在の寿橋の下に踏切があり

そこを歩いて知利別のスキー場へ行った

現蘭東中学校の山側がスキー場だった

昭和十八、十九年頃の話
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.75」2001.03.04 室蘭民報掲載

2007年4月14日土曜日

「小所帯の新室蘭駅」


~ 最盛期、職員数二千人 ~

先日旧室蘭駅OBの方に話を聞いた

昭和十九年国鉄に入り室蘭勤務

定年迄三十数年間あの駅で勤めた

当時の駅長室は立派で駅長の位も高く

出世コースの一つだった

駅と関連部署を入れると五百人の職員数

係々でやると出来るが駅としてのOB会は

人数が多く出来ないと言う

現在の入江運動公園は石炭荷役の国鉄埠頭を始め

機関区 貨車区 車掌区等

色々な施設があった昭和四十年最盛期には

駅を含め二千人の職員数

新駅は職員数四名と言う
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.74」2001.2.26 室蘭民報掲載

2007年4月13日金曜日

「不凍湖も結氷 今冬の寒さ」


~ 室蘭港カチンカチン ~

二月九日テレビの朝のニュースは

「釧路と厚岸は流氷と港の結氷で

漁船が出港できない」と

旧室蘭駅を見てから港へ行った

冬港に来るのは何年振りか

沖は別として岸壁近くは結氷していた

蓮の葉氷と言うが見るのは初めてだった

寒気はその後も続き

不凍湖と言われた支笏湖 洞爺湖も結氷

十日からの三連休で

水を落したが凍ったという鉄筋の建物の話

二十日には港の氷を取り除くフェリー埠頭の画像

寒気の被害続出
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.73」2001.2.25 室蘭民報掲載

2007年4月11日水曜日

「旧室蘭駅Ⅱ」


~ 明治四十五年に現在の地に ~

旧駅舎入り口横に案内板

文面の中に旧室蘭駅舎は明治四十五年に建され

北海道の駅舎の中では最古の木造建築物である・・・

人間なら今年は卆寿の祝

室蘭から岩見沢迄の鉄道が敷設されたのは

夕張炭鉱の石炭を積出するためで

明治三十年輪西~室蘭間が開通し

最初の駅は現長崎屋中央店向いのあたりで

一度他に移転

明治四十五年に現在地に新築したと言う

駅のホームの港側に石炭を貨車から降す設備があった

今年の様にシバレのきつい時は石炭車の下を開けるため

大きなハンマーで叩く音が響いていた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.72」2001.2.19 室蘭民報掲載

2007年4月10日火曜日

「旧室蘭駅Ⅰ」


~ 並んで改札待った往時 ~

中央町のプリンスホテル前の坂を下りた

突き当りのアパート一階の店は

移転先の張り紙を残し無人になっていた

そこから旧室蘭駅迄の旧線路側の建物は

全部撤去され雪の上に

「北海道胆振支庁合同庁舎建設予定地」

の大看板が見える

一面の雪原の遠くに見える旧駅舎は

移設された建物のような錯覚を起こす

中学生の頃は駅舎に続いて手小荷物取扱所

その先に改札口と出札口

改札迄取扱所の前に並んで待った

改札がすむと跨線橋を越えてホームに出る

線路の横に立ち並ぶ家々の裏側が見えていた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.71」2001.2.18 室蘭民報掲載

2007年4月9日月曜日

「全国に知られる母恋駅」


~ 歴史に残る日鋼の争議 ~

母恋駅は母の日に贈る入場券で全国に知られている

景勝地球岬の最寄り駅でもある

今は話題になる事も少ないが

昭和二十年代末期政府のデフレ政策の強行で

雇用情勢の悪化と不況の中で

全国各地で長期の労働争議がつづいた

室蘭でも労働運動史に残る

昭和二十九年六月から十二月まで

一九三日間の日鋼争議が起きた

全国から集まった支援組織の人々も

この出札口を通ったのだろう

当時青年行動隊で働いた人々も

数年前に定年退職されている

思い出したくない事かもしれない
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.70」2001.2.12 室蘭民報掲載

2007年4月8日日曜日

「母恋駅出札口」


~ 重なる数々の思い出 ~

最近絵手紙散歩の件で話しかけられる事が多くなった

先日もこんな話をお聞きした

「先日の輪西駅 あの絵を見ていたら製鉄所に入社の時

最初に降りた駅 軍隊に入るとき乗った駅

飲んで親不孝列車で帰った駅

忘れていた数々の事を思い出しましたよ」と

その方は新日鉄を退社されて二十年近くになるのだろうか

五十数年前日本中の駅で軍隊に入る為

見送られた人 還らなかった人

一昨年江別で戦没画学生たちの作品を見た

溢れ出る涙を抑えきれなかった
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.69」2001.2.11 室蘭民報掲載

2007年4月7日土曜日

「戦争中を思い出した御前水の道」


~ 空襲警報で歩いて帰宅 ~

御前水の歩道橋の上から室蘭岳が見えた

前に何度か通ったが気付かなかった

道路を見下ろしていると五十数年前の事を思い出した

昭和二十年戦争の最末期

動員先で体調をくずし室蘭に帰り

病院通いをしながら教室では一人で自習

空襲警報のサイレンが鳴ると帰宅

交通機関も止る 栄町から輪西迄歩く

非常食の炒り大豆を食べながらこの道を歩いた

今のバス停御崎アパート前から山越えをし

大沢小学校の上に出た

先日こんな立派な道でなかったと思い

アパート裏の路を歩くと出たのは端の江の上だった
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.68」2001.2.05 室蘭民報掲載

2007年4月6日金曜日

「もうすぐ ひな祭り」


~ 孫に買った「親王飾り」 ~

一月中旬にはひな人形が店内に並ぶ

初孫さん用にと下見をするご夫婦も多い

そんなご主人に何度かお聞きした事がある

「お嬢様の時は?」

「買ってやれなかったので孫には」と

私も同じだった

最初は五段飾りと思っていたが

家内にたしなめられ親王飾りにした

昨年十月 結婚後三度目の転勤で苫小牧に来た

夫婦で手伝いに行った

ひな人形の箱はタンスの上に仮置きをした

一部屋増えたと言うが団地サイズの造り

学習机も増えている

余計な心配と言われそうだがひな祭りも近い
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.67」2001.2.04 室蘭民報掲載

2007年4月5日木曜日

「御傘山神社」


~ 泉水でお茶 天皇に献上 ~

御前水町御傘山神社の横下の道から測量山を見る

神社の境内には天澤泉と彫られた立派な石碑

その横に由来板

明治十四年九月明治天皇行幸の折

この地の水でお茶をたて献上したので

大正十一年御前水と命名したそうだ

境内ではヒヨドリの鳴き声

神社は明治四十一年八月日本製鋼所創設の際

工場の守護神として御前水町の山上に創立

大正二年献上した泉水のある現地に遷宮

神社の前の坂を昇ると観光道路に出る

左手鶴ヶ崎中学校上迄を明治天皇行幸にちなんで

行幸道路と呼んでいた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.66」2001.1.29 室蘭民報掲載

2007年4月4日水曜日

「JR御崎駅」


~ 朝四時起き絵手紙描く ~

晩酌の最中に訃報

病院が遠いので打ち合わせは二時間後と

いつもは七時前後に寝る

朝は四時に起き絵だよりを描く

そんな暮らしが七年半ほど続き夜の会合がニガ手になった

テレビはドラマ「菜の花の沖」が始まっていた

高田屋嘉兵衛の生涯を描いた話だが

原作も前回迄も見ていない

家の中で彼の妻が女性に

「嘉兵衛が蝦夷から帰り一度の餅つきでややこが」と

二番目の子の身ごもりを話していた

戦後エッチと言う言葉ができて

女性も話しやすくなったと言うが

餅つきの明るさとおおらかさに驚く
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.65」2001.1.28 室蘭民報掲載

2007年4月2日月曜日

「イトツケレップ貨物専用駅跡」


~ 構内に建つ「発祥の地」 ~

山内孝彦著「輪西のうつり変り」に

イトツケレップ(御崎)の貨物専用駅跡には

「室蘭線発祥の地」の標柱があって

これは現在当方に八百メートル位置を変えて

御崎駅構内に建っている

明治二十五年七月今の新日鉄仲町第一門付近に

室蘭停車場を開設

前記の貨物専用駅を置いて蛇島(今はない)まで

岐線を引き込みこの島を利用してつくられた

仮木造桟橋で石炭の積み出しが始った

小学生の頃友達と蛇島前の木造桟橋でチカ釣りをした

島と言うが岩石の固りだった

釣れなかった事だけを憶えている
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.64」2001.1.22 室蘭民報掲載

2007年4月1日日曜日

「ダイヤモンドカーブ」


~ 菱形の転轍器が由来 ~

バス停大沢町一丁目で降りると瑞之江会館

横に瑞之江公園の標識がある

子供の頃ここには大きな池があった

大人も子供も鮒釣りをしたり筏遊びをした

冬は製鉄所のスケート場になり氷上カーニバルを見に来た

東日本輸送の駐車場のあたりはグラウンドだった

製鉄所の運動会はここで開かれ大勢の人が集った

今の鉄原前の道路をダイヤモンドと呼んでいる

室蘭市発行「室蘭のうつりかわり」に

新設鉄道の交差点の付近で

転轍機が菱形であったところから

このあたり一帯を・・・・・と
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.63」2001.1.21 室蘭民報掲載