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2007年9月23日日曜日

「消防署高砂出張所」



先週確かめず消防署の出先だから

支署と書きましたが誤りでした

入口の戸の上に室蘭市消防署高砂出張所の看板

訂正しお詫び申し上げます

電話帳を見ると支署は入江支署と本輪西支署

祝津・高砂・白鳥台は出張所でした

高い塔の中は二十メートルのホースを

二つ折りにして干せる様になっていると

建設中には無かった拡声器が四方に向けて付けられた

気になる赤い鉄骨だが拡声器の保護用で

ヘリコプター注意か
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.163」2002.12.08 室蘭民報掲載

2007年7月22日日曜日

「共用水道栓」



チマイベツ浄水場の前庭に

長年活躍したライオンの顔の水道栓を讃える様に

石組みの池が完成していた

小学生の頃一般家庭には水道設備がなかった

町内の所々に屋外共用水道栓が立っていた

その水道の専用の鍵が家毎にあった

学校から帰ると水汲みが子供達の仕事だった

四斗甕一杯(約七十二リットル)と

バケツ二杯分汲むのが日課だった

俺の代りに水を汲んだら本を貸してやると

騙された事もあった

中学に入る迄続いた
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.130」2002.4.7 室蘭民報掲載

2007年6月3日日曜日

「室蘭中学校」



昭和六十二年六月

北海道室蘭栄高等学校創立七十周年記念協賛会が

栄町の室蘭中学校跡地に記念碑と校歌碑を建立

旧校舎は昭和二十五年頃の写真を見て描く

木々は生長したが上部が朽ちた木もある

二、三年前ラジオを入れると甲子園の野球放送

試合が終わりアナウンサーは

「〇〇学園の校歌は昭和の大詩人北原白秋の作詞

作曲は世界的に知られた山田耕筰 宝物ですよね」と

室蘭中学校校歌もこのお二人の作詞・作曲
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.101」2001.08.19 室蘭民報掲載

2007年5月26日土曜日

「マスイチの展望台」



マスイチ駐車場の上の椅子に掛け一服していた

駐車場には車が一台人影は見えない

右の方から車が一台入って来た

男の人が二人降りた

「こんな天気なら室蘭岳へ行けばよかったな」

と話しながら展望台の方に一人が登って行った

やがて戻ってきて

「室蘭岳の頂上付近には誰もいなかった」と言う

アレッと思ったが展望台の望遠鏡で見たのかと気づく

屋根上の風見鶏が少し曲がっていた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.96」2001.07.08 室蘭民報掲載

2007年4月21日土曜日

「入江臨海公園」


~ マチの歴史刻む碑並ぶ ~

入江臨海公園には葉山嘉樹の文学碑がある

中央の大きな石には「海に生くる人々」と

書家で元室蘭市長の長谷川遅牛氏の文字

左手の碑には小説の中の文章

「室蘭港が奥深く・・・・・中略・・・・・

大黒島が栓をしてゐる」の文

碑の横の案内板の最後に

この文学碑は港と石炭にたずさわった人々の

記念に建てられたものである・・・・・と

開発の功労者ケプロン顕彰碑と

昔水上警察署前にあった明治天皇聖跡碑も

この公園内にある
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.79」2001.03.19 室蘭民報掲載

2007年4月20日金曜日

「室蘭港横の旧栗林商会本社」


~ 六十八年の歴史たたずむ ~

三月九日岸壁近くには薄氷が残っていた

北海道警察の船が係留

船名はむろしお第二

昔この近くに水上警察署があった

その横に木造の桟橋その下で泳いだ事がある

当時は油と木片が浮き汚れていた

船の向うに旧栗林商会本社の建物が見える

港へ来てこの建物を見るとホッとする

栗林商会の社史を書いたM氏に聞くと

昭和八年完成

外壁材は英国製

あの壁に耳を当ると

室蘭港の六十八年間が聞こえてきそうだ
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.78」2001.03.18 室蘭民報掲載

2007年4月18日水曜日

「東室蘭駅西口」


~ 蘭東発展で駅舎を改築 ~

東室蘭駅

西口待合室の使用開始が

昭和三十一年四月

太平橋の完成が翌三十二年

寿橋は昭和四十一年の開通

当時蘭東地区の発展は驚異的で

駅をはさむ東西の往来も増加し

地域住民から人道橋の要望と

室蘭市の玄関口として

駅舎改築の要望が高まり

昭和四十四年十二月

当時としては全国的にも類のない

橋上駅が完成

駅の一日平均の乗降人員の最高が

一万八千五百余人

昭和十九年八丁平に飛行場建設で

一般市民から中学生迄動員された年である
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.77」2001.03.11 室蘭民報掲載

2007年4月16日月曜日

「東室蘭駅東口」


~ 変遷重ねる工都の玄関 ~

東室蘭駅は明治二十五年輪西駅として営業開始

大正十年現在地に移転

昭和三年長輪線全通

現輪西駅設置で東室蘭駅と改稱

昭和六年工業都市室蘭の玄関口として

東室蘭駅と改稱し現在に至ると

小学校五、六年生の頃日曜日には

K君とスキーに行く

東室蘭駅で降り駅前通りの駅弁屋さんで弁当を買う

建物は少なかった

現在の寿橋の下に踏切があり

そこを歩いて知利別のスキー場へ行った

現蘭東中学校の山側がスキー場だった

昭和十八、十九年頃の話
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.75」2001.03.04 室蘭民報掲載

2007年4月14日土曜日

「小所帯の新室蘭駅」


~ 最盛期、職員数二千人 ~

先日旧室蘭駅OBの方に話を聞いた

昭和十九年国鉄に入り室蘭勤務

定年迄三十数年間あの駅で勤めた

当時の駅長室は立派で駅長の位も高く

出世コースの一つだった

駅と関連部署を入れると五百人の職員数

係々でやると出来るが駅としてのOB会は

人数が多く出来ないと言う

現在の入江運動公園は石炭荷役の国鉄埠頭を始め

機関区 貨車区 車掌区等

色々な施設があった昭和四十年最盛期には

駅を含め二千人の職員数

新駅は職員数四名と言う
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.74」2001.2.26 室蘭民報掲載

2007年4月11日水曜日

「旧室蘭駅Ⅱ」


~ 明治四十五年に現在の地に ~

旧駅舎入り口横に案内板

文面の中に旧室蘭駅舎は明治四十五年に建され

北海道の駅舎の中では最古の木造建築物である・・・

人間なら今年は卆寿の祝

室蘭から岩見沢迄の鉄道が敷設されたのは

夕張炭鉱の石炭を積出するためで

明治三十年輪西~室蘭間が開通し

最初の駅は現長崎屋中央店向いのあたりで

一度他に移転

明治四十五年に現在地に新築したと言う

駅のホームの港側に石炭を貨車から降す設備があった

今年の様にシバレのきつい時は石炭車の下を開けるため

大きなハンマーで叩く音が響いていた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.72」2001.2.19 室蘭民報掲載

2007年4月10日火曜日

「旧室蘭駅Ⅰ」


~ 並んで改札待った往時 ~

中央町のプリンスホテル前の坂を下りた

突き当りのアパート一階の店は

移転先の張り紙を残し無人になっていた

そこから旧室蘭駅迄の旧線路側の建物は

全部撤去され雪の上に

「北海道胆振支庁合同庁舎建設予定地」

の大看板が見える

一面の雪原の遠くに見える旧駅舎は

移設された建物のような錯覚を起こす

中学生の頃は駅舎に続いて手小荷物取扱所

その先に改札口と出札口

改札迄取扱所の前に並んで待った

改札がすむと跨線橋を越えてホームに出る

線路の横に立ち並ぶ家々の裏側が見えていた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.71」2001.2.18 室蘭民報掲載

2007年4月9日月曜日

「全国に知られる母恋駅」


~ 歴史に残る日鋼の争議 ~

母恋駅は母の日に贈る入場券で全国に知られている

景勝地球岬の最寄り駅でもある

今は話題になる事も少ないが

昭和二十年代末期政府のデフレ政策の強行で

雇用情勢の悪化と不況の中で

全国各地で長期の労働争議がつづいた

室蘭でも労働運動史に残る

昭和二十九年六月から十二月まで

一九三日間の日鋼争議が起きた

全国から集まった支援組織の人々も

この出札口を通ったのだろう

当時青年行動隊で働いた人々も

数年前に定年退職されている

思い出したくない事かもしれない
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.70」2001.2.12 室蘭民報掲載

2007年4月8日日曜日

「母恋駅出札口」


~ 重なる数々の思い出 ~

最近絵手紙散歩の件で話しかけられる事が多くなった

先日もこんな話をお聞きした

「先日の輪西駅 あの絵を見ていたら製鉄所に入社の時

最初に降りた駅 軍隊に入るとき乗った駅

飲んで親不孝列車で帰った駅

忘れていた数々の事を思い出しましたよ」と

その方は新日鉄を退社されて二十年近くになるのだろうか

五十数年前日本中の駅で軍隊に入る為

見送られた人 還らなかった人

一昨年江別で戦没画学生たちの作品を見た

溢れ出る涙を抑えきれなかった
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.69」2001.2.11 室蘭民報掲載

2007年4月4日水曜日

「JR御崎駅」


~ 朝四時起き絵手紙描く ~

晩酌の最中に訃報

病院が遠いので打ち合わせは二時間後と

いつもは七時前後に寝る

朝は四時に起き絵だよりを描く

そんな暮らしが七年半ほど続き夜の会合がニガ手になった

テレビはドラマ「菜の花の沖」が始まっていた

高田屋嘉兵衛の生涯を描いた話だが

原作も前回迄も見ていない

家の中で彼の妻が女性に

「嘉兵衛が蝦夷から帰り一度の餅つきでややこが」と

二番目の子の身ごもりを話していた

戦後エッチと言う言葉ができて

女性も話しやすくなったと言うが

餅つきの明るさとおおらかさに驚く
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.65」2001.1.28 室蘭民報掲載

2007年4月2日月曜日

「イトツケレップ貨物専用駅跡」


~ 構内に建つ「発祥の地」 ~

山内孝彦著「輪西のうつり変り」に

イトツケレップ(御崎)の貨物専用駅跡には

「室蘭線発祥の地」の標柱があって

これは現在当方に八百メートル位置を変えて

御崎駅構内に建っている

明治二十五年七月今の新日鉄仲町第一門付近に

室蘭停車場を開設

前記の貨物専用駅を置いて蛇島(今はない)まで

岐線を引き込みこの島を利用してつくられた

仮木造桟橋で石炭の積み出しが始った

小学生の頃友達と蛇島前の木造桟橋でチカ釣りをした

島と言うが岩石の固りだった

釣れなかった事だけを憶えている
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.64」2001.1.22 室蘭民報掲載

2007年3月29日木曜日

「輪西のグリーン・モール」


~ 撤去された住宅の跡地 ~

昨年九月大沢小学校の「地域を学ぶ日」に

昔の大沢・輪西地区の思い出を話した

学校に行き校長先生にお聞きしたのは

「今でも子供達は何条通りと呼んでいるのですか」

「呼んでおります」と

昭和三十九年住居表示に関する法律で

何丁目何番何号に変り文書ではそう書く様になった

会話では「南条通り」が生きていた

明治から 親から子・孫へと使い親しまれた呼稱は

今の子供達も使っていた

輪西で一番広い通り七条通りのグリーン・モール

終戦直前防火帯に強制撤去させられた住宅の跡地
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.62」2001.1.15 室蘭民報掲載

2007年3月27日火曜日

「輪西駅」


~ 時の流れに感慨よぎる ~

昭和十九年室蘭中学校へ入学

輪西駅から通学

駅の待合室は通勤・通学の人で一杯だった

その二・三年前位だったか

父が大阪駅で室蘭本線輪西駅と言うと

印刷された切符が出て来たと

昭和二十六年室蘭製鉄所と変る迄

長い間輪西製鉄所と呼んでいた

全国から多くの人が集って来た

昭和三十年代後半から通勤は自家用車に変って来た

通学もバスが増えた

昭和四十二年自動車保有一千万台

昭和四十八年運転免許二・七人に一人所持

交通体系が大きく変る

駅入口の重い戸が懐かしい
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.61」2001.1.14 室蘭民報掲載

2007年3月1日木曜日

「文化女子大学室蘭短期大学」


~ 緑豊かな安らぐ環境 ~

バスの中からは長年見慣れた校舎

高砂 水元町は室蘭の文教地区

バス停は文化女子短大前

学校の敷地に入ると真赤に光るナナカマドの実

黄褐色の桜の葉 柳の緑 森の中に立つ感じで安らぐ

親しみ易いのは落葉樹木のせいなのか

四季の移り変わりをはっきり見せる

野鳥の飛来も多いのだろう

昨年開校三十周年を迎えた

多くの人材を育て送り出した

地元室蘭と道内出身者の多い中

沖縄・本州各地から学生が来ていると聞く

短大卒業後東京の本校に編入出来る制度も

魅力の一つと思う


「小友さんの絵手紙散歩 No.40」2000.10.23 室蘭民報掲載

2007年2月27日火曜日

「室蘭工業大学」


~ 「学生街」に秋の薫り ~

ある会合の雑談の中で平均年齢の話になった

どこの町会も高齢化が進んでいる

その中で水元町会の会長さんが

「うちは若いですよ 室工大の学生さんがいるから」と

室工専から国立大学に昇格したのは昭和二十四年

その後学部が増え 教室 研究棟も増えた

店も大学横に宮本商店が一軒だけだったが街並も大きく変った

学生の街の看板も変った

ハイツ・コーポ・マンションで 荘・下宿の字は

表通りでは見掛けない

大学正門横の銀杏の葉は黄ばみ始めていた


「小友さんの絵手紙散歩 No.38」2000.10.16 室蘭民報掲載

2007年2月26日月曜日

「ユートピア牧場」


~ 馬喜ぶ孫の姿思い出す ~

バス停室蘭ろう学校前で降りる

歩道のナナカマドの実は赤くなっていた

室蘭聾学校の建物はシートで覆われ工事中だった

道央自動車道の高架下で舗装道路は終る

道の左側にユートピア牧場が広がる

右手の鷲別川を渡ると登別市

この山の上の牧場が有名だが登った事はない

道端の草むらに椅子を置き牧舎を描く 馬の姿が見えない

二、三年前孫が遊びに来た時馬を見せるためここに来た

親馬子馬が走っていた

馬を見るのが初めてだったのか大喜びだった


「小友さんの絵手紙散歩 No.37」2000.10.15 室蘭民報掲載