~ 時の流れに感慨よぎる ~
昭和十九年室蘭中学校へ入学
輪西駅から通学
駅の待合室は通勤・通学の人で一杯だった
その二・三年前位だったか
父が大阪駅で室蘭本線輪西駅と言うと
印刷された切符が出て来たと
昭和二十六年室蘭製鉄所と変る迄
長い間輪西製鉄所と呼んでいた
全国から多くの人が集って来た
昭和三十年代後半から通勤は自家用車に変って来た
通学もバスが増えた
昭和四十二年自動車保有一千万台
昭和四十八年運転免許二・七人に一人所持
交通体系が大きく変る
駅入口の重い戸が懐かしい
昭和十九年室蘭中学校へ入学
輪西駅から通学
駅の待合室は通勤・通学の人で一杯だった
その二・三年前位だったか
父が大阪駅で室蘭本線輪西駅と言うと
印刷された切符が出て来たと
昭和二十六年室蘭製鉄所と変る迄
長い間輪西製鉄所と呼んでいた
全国から多くの人が集って来た
昭和三十年代後半から通勤は自家用車に変って来た
通学もバスが増えた
昭和四十二年自動車保有一千万台
昭和四十八年運転免許二・七人に一人所持
交通体系が大きく変る
駅入口の重い戸が懐かしい
「小友さんの絵手紙散歩 No.61」2001.1.14 室蘭民報掲載
3 件のコメント:
小友さんも輪西に住んだ頃良く利用した輪西駅登場。
国鉄時代であり鉄道の大量輸送がまだ健在の頃である。
自分の自動車免許も丁度ここにある自動車保有1千万台到達時代。
こうして見ると色んな思いが蘇る。
とうとう一度紹介した輪西駅に辿り着いた。
そちらにいた当時は賑わっていたこの輪西駅もマイカー族が増え、バスの利便性も手伝って乗降客が激減してしまっていますね。寂しいことですが、やむを得ませんね。
でもこの駅舎はとても懐かしくて好きです。
さて輪西製鉄所から富士鉄室蘭製鉄所になったのが私の生まれた年の昭和26年なんですね。亡き父から聞かされていたかも知れません。そんな歴史を思い出させてくれましたね。
大分のyyffさん>昭和26年生まれで、ワタシの妹と中学校で接点があるかも知れませんよね。
懐かしい輪西駅、一年前に降り立った輪西駅に感慨もあると思いますが、残念ながらもう昔の賑やかさは戻らないそんな光景になってしまいました。
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