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2007年11月23日金曜日

「彼岸」



「暑さ寒さも彼岸迄」と言うが

昨日は彼岸の入り朝夕は涼しくなった

夜明けも遅くなってきた

天気予報を見ていると本州ではまだ三十度を超える地域もある

春の彼岸 お盆 秋の彼岸と年に三度の墓参り

この行事の深い意味は知らないが

もしなければ墓参りに行くのだろうかと思う時がある

花のない墓を見ると身内の方は近くに住んでいないのかと

二十三日は秋分の日 昼夜等分の日でもある
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.196」2003.9.21 室蘭民報掲載

2007年11月21日水曜日

「山路」



資料館前で降り望洋公園へ行く道を探す

公園から見るカムイヌプリと幌別ダムを見たかった

カムイヌプリは霧の中だった

道は途中まで舗装されていた

道横にピンクのエゾヤマハギ

足許には秋咲く黄色の花々

すれ違った車は乗用車と小型トラックの二台

坂の上に望洋公園の標識

バス停から二十八分

ダムは木々の緑にはばまれてちらっとだけ

公園の中には栗の木があった

小さな緑のいが栗が沢山ついていた
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.195」2003.9.14 室蘭民報掲載

2007年11月18日日曜日

「崖」



行き止まり

鉱山町八キロの標識を見て五キロ?程進むと

土砂の採掘現場がある

そこの川沿いに降りて見ようと思った

立入禁止の立札

工事の車はなかったが降りるのをあきらめた

前方には崖が連なっている

どこかで見た風景と思ったが思い出せない

平成六年初版発行ののぼりべつ鉱山の自然ネイチャーマップに

四万年前に噴火したクッタラ火山の噴出物の崖と記載されていた

コンクリートの土塁は砂防ダムなのか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.193」2003.8.31 室蘭民報掲載

2007年11月15日木曜日

「渓流」



鉱山橋の手前で降り橋の上から渓流を見る

娘は「空気が美味しい」と

鉱山町へ来たのは何年振りだろう

何度か「山菜採り」にと車で迎えに来て呉れたが

その都度原稿を纏めている最中でお断りした

そんな事が重なり誘いの話もなくなった

旧校舎の跡地には立派なネイチャーセンターが建っていた

ログハウス村も建物が増えていた

画家の千葉さんが亡くなって何年になるだろうか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.192」2003.8.24 室蘭民報掲載

2007年11月12日月曜日

「集中豪雨」



鉄橋を見ていたらフッと記憶が蘇る

昭和三十六年十月五日か六日

札幌で映画「ナバロンの要塞」を見て夕方の列車に乗った

登別駅で「集中豪雨で幌別川が増水しておりますので

暫くお待ち下さい」との車内放送

その後「危険ですので登別駅に停車」と

登別温泉に泊ろうかと聞くと

「道路の一部が決壊し交通止め」車内泊となった

翌朝バスで帰ったが鉄橋は橋桁迄増水

国道を迂回し上流の橋を渡った
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.190」2003.8.3 室蘭民報掲載

2007年11月8日木曜日

「サーフィン」



幌別川河口のコンクリートの堰堤の上を

若者達が海に向って歩いていた 後を追う

曇り空だが何組かの若い人達

女性も砂浜で休んでいた

サーファー達だった

砂浜の手前の草原に「たき火厳禁」の標識

こんなに若者がと考えると土曜日だった

イタンキ浜のサーフィンは有名だが

ここも穴場の一つなのか

昔中学四・五年生の頃もっと町寄りの海で泳いだ

波打際からすぐ深くなっていた引き潮も強かった
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.189」2003.7.27 室蘭民報掲載

2007年11月2日金曜日

「キウシト湿原」



バス停若山営業所前で下車

道南バス敷地の隣が湿原の森

道路右手は若山団地正面があかしや団地

森に囲まれた湿原にはヨシやスゲの群落

杭で囲い大きな標識「調査にご協力を」立入禁止

平成十三年環境省から「日本の重要湿地」に選定された

網走の市民団体の方が見学に来

市の都市計画の方が案内説明を

「年々乾燥化が進み植生が壊れかけて来ているが

下流に幾度も水害の被害を受けた団地があるので」と
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.187」2003.7.13 室蘭民報掲載

2007年10月29日月曜日

「カムイヌプリ」



桜新橋から見るカムイヌプリ(七四五メートル)は

山裾を大きく広げていた

アイヌの人達は畏敬の念をこめて神の山と呼んだのだろう

北海道の百名山には登別市のこの山は収録されていないが

同じ名のカムイヌプリ(摩周岳)があった

北海道の百名山の中でアイヌ地名と思われる

カタカナの山が二四山 漢字で書いているが

神威山・神居尻山とカムイを現わす山

山の名は変ったがカムイと崇められた山は沢山あったのだろう
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.186」2003.7.06 室蘭民報掲載

2007年10月28日日曜日

「川上B遺跡」



縄文早期(約九千年~六千年前)から

縄文後期(約四千年~三千年前)に

ヤンケシ川右岸の川岸段丘上に形成された

大規模な遺跡で登別では初の旧石器や

円筒上層式・北筒式・余市式・入江式などの土器

約八万点が出土し直径十二メートルを超える

大型住居跡をはじめ約一五〇の住居跡や

墓などの遺構が発見されています 登別市教育委員会

バス停若山町一丁目の近くで歩道から標識が見える

道央自動車道あたりなのか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.185」2003.6.29 室蘭民報掲載

2007年10月27日土曜日

「遺跡」



川沿いの巨木は三本の木が枝先で重なりあっていた

カエデ・トチノキ・ハルニレで樹齢100年と

道の右手に富岸神社ここの境内の木も太い

富岸神社遺跡の標識を読むと

縄文中期(約五千年~四千年前)から

縄文晩期(約三千年~二千二百年前)にかけて

富岸川左岸の川岸段丘に形成された遺跡で

縄文後期の入江式土器が出土しています

登別市教育委員会

住んだ期間は?

噴火・飢餓・疫病・外敵いずれだったのかと
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.184」2003.6.22 室蘭民報掲載

2007年10月24日水曜日

「ドングリの散歩道」



自然景観マップを持参すれば良かったのに

帰宅後見たので二度足を踏む事になった

前回は上流に向って右側を歩き同じ道を帰って来た

マップを見ると富岸神社の先の富岸東橋を渡り

上流に向って歩くと川沿いにドングリの散歩道と書いてある

国道三十六号線を起点に所要時間約一時間四十分のコース

バス停富岸小学校前で降りると往復一時間位だろうか

道は川と舗装道路の中間にあった

新緑が眩しい
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.183」2003.6.15 室蘭民報掲載

2007年10月21日日曜日

「富岸川Ⅱ」



富岸川の魚道を鮭が遡上すると自然景観マップで読んだ

どの辺まで登るのだろうかと興味があった

バス停富岸小学校前で降り川沿いの道を歩く

緑陽中学校富岸神社を横に見て道央自動車道の下をくぐる

護岸のブロックが終り川を分断する道があった

時計を見ると二十数分歩いていた

分断するコンクリートの道の上を水が流れ

川下側には大きな岩が沢山あった

カワガラスが一羽飛び廻っていた
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.182」2003.6.8 室蘭民報掲載

2007年10月9日火曜日

「亀田霊園」



三月十七日朝

午前中に用事を済ませ午後から亀田霊園へ行く

外周の舗装道路は除雪されていた

一段毎に盛り土された芝生は出ていたが

道路から登る坂道 墓の前には

長靴が埋まる位の雪があった

持参の小さなスコップで除雪

雪の下は溶けて濡れていた

回りを見渡すとセーター姿で除雪している人が何人かいた

一日早いせいかお墓に供えた花も少ない

彼岸迄の約束か工事用の車が一台作業中
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.174」2003.3.23 室蘭民報掲載

「富岸川」



鷲別岳を前方に見ながら川沿いを歩く

道営住宅若山団地の裏で西富岸川と合流

亀田霊園の奥が源で亀田公園の中を流れ

ポスフール登別店の横を通り

店舗の裏で曲り富岸川に注ぐ

一月の長期予報の時だったか

「室蘭地方の根雪は例年三月九日で消える」

と報道していたが今年は例外の年になった様だ

暑さ寒さも彼岸迄と言うが明後日は彼岸の入り

霊園の通路は除雪して呉れるが

お墓の周りはどうなのか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.173」2003.3.16 室蘭民報掲載

2007年10月8日月曜日

「富岸川・河口」



バス停富岸で下車富岸川はすぐそば

国道を渡り海辺へ出る

川の両岸はコンクリート擁壁

川は砂地の中を蛇行して海に入る

渇水期なのか川巾はせまい

海に向って左側の擁壁の下には少しだが砂地がある

右側は傾斜護岸とテトラポットで埋められていた

川口を見るのは初めてだった

橋の上から川の流れを見ると魚道が見える

下水道整備と魚道が出来た事で

鮭の遡上が確認されたと言う
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.172」2003.3.9 室蘭民報掲載

2007年10月7日日曜日

「くじら岬」



前回離岸提を四箇所と書いたが寄り砂を見にもう一度行った

離岸提は大が六で小が一 計七基訂正お詫び申し上げます

小さな砂浜があった

これが離岸提が出来てから寄って来た砂なのだろうかと見た

何度か漁港周辺から見る鷲別岬は

イタンキ側から見る鯨の形と違うと思っていた

自然景観マップの写真の中に鯨の形の岬があった

傾斜護岸の場所から写している

これだけ離れて見ればと富岸寄りに歩く
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.171」2003.3.2 室蘭民報掲載

2007年10月5日金曜日

「鷲別海岸」



浜は護岸のテトラポットが続く

沖には離岸提が四ヶ所自然景観マップに

「離岸提のおかげで小さな砂浜が出来ている」と

その砂浜に気付かず帰って来た

浜から見る正面にはカムイヌプリの山

その裾の延長に蘭法華岬

その裏側の先端はと考えたが虎杖浜のポンアヨロ岬だろうか

あと白老沿岸では突き出た場所もないしと

この風景を鷲別岬の見晴台から見ると

市街地の家並

山も来馬岳と景色は広がる
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.170」2003.2.23 室蘭民報掲載

2007年10月3日水曜日

「ボウズ山」



自然景観マップ鷲別地区編を見ると

自動車学校上の山にボウズ山の地名

麓に上鷲別墓地と記載

登別市の墓地は富浦と亀田霊園の二ヶ所と思い込んでいた

墓地には古い墓石もあった

その少し先から坂道を登る 上にも家があった

ボウズ山への登り口はと迷ったが

家の裏に笹の斜面一人歩ける路がある

そこを歩く

下には自動車学校の教習コース

路は登らず横に進む 家並が見えた

若草町此処への近道だった
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.169」2003.2.16 室蘭民報掲載

2007年10月2日火曜日

「鷲別漁港」



沢山の海鳥が飛び防波堤の上で休む鳥もいた

この日は川口の砂浜で休む鳥は見えなかった

浜の人達はゴメと呼ぶ

カゴメが詰まったのだろうか

昔はこの海岸も砂浜だった

潮流の侵食で砂が流され

護岸工事が進み砂浜は無くなった

自然景観マップ鷲別地区編によれば

鷲別漁港が第一種漁港に指定されたのが

昭和二十六年(一九五一年)

登別漁港の竣工が昭和二十八年

太平洋側の砂浜のあちこちで

侵食され始めた頃だろうか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.168」2003.2.9 室蘭民報掲載

2007年9月30日日曜日

「鷲別岬」



何年前だったか登別市が鷲別岬に

遊歩道を造ったと言う記事を読み出掛けた

聞くと良かったのだが聞かず海側の路を歩くも見当たらず

引返し歩道橋の下からお寺の横の坂道を登る

その上に児童館がありその先に鷲別岬周辺案内図があった

遺跡の標識を読み遊歩道を歩く

足許には色々な山野草があった

後で聞いた話だが遺跡があった為

その上の開発が禁じられ自然が守られたと言う事だった
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.167」2003.2.2 室蘭民報掲載