~ 飢えに死す悲しい伝説 ~
子供の頃イタンキ浜に遊びに来ても
現在の寿町側の砂浜には来た事が無かった
伝説の沖の岩を寄り鯨と間違え
何日も流木を燃して暖をとり
その木もなくなりお椀(アイヌ語でイタンキ)迄燃したが
飢えと疲労で全員亡くなったと言う悲しい話だが
鯨半島と混同して変だと思っていた
後年寿町の蘭東下水処理場沖の岩礁
フンベシユマ(鯨岩)と聞き納得した
伝説だから時代は不明だが日高の不漁絵鞆の伝染病を
天明の大飢饉等と重ねて考えると
実際にあった話の様に思える
子供の頃イタンキ浜に遊びに来ても
現在の寿町側の砂浜には来た事が無かった
伝説の沖の岩を寄り鯨と間違え
何日も流木を燃して暖をとり
その木もなくなりお椀(アイヌ語でイタンキ)迄燃したが
飢えと疲労で全員亡くなったと言う悲しい話だが
鯨半島と混同して変だと思っていた
後年寿町の蘭東下水処理場沖の岩礁
フンベシユマ(鯨岩)と聞き納得した
伝説だから時代は不明だが日高の不漁絵鞆の伝染病を
天明の大飢饉等と重ねて考えると
実際にあった話の様に思える
「小友さんの絵手紙散歩 No.48」2000.11.26 室蘭民報掲載
2 件のコメント:
中学生の頃迄だったか8月13日のお盆にはこの浜を通り抜け祖父に連れられ鯨岩のすぐ先のお墓まで家族で墓参りに来ていた。
今考えれば距離にして3km程の距離を歩いての墓参り、随分遠くまで歩いた記憶が蘇って来る。
そのお墓は現在白鳥台に移転しもう無い。
その帰り道イタンキ猟師の家に立ち寄りドンブリに山盛りの夏ウニを酒の肴に美味しそうに食べていた祖父の姿が思い浮かぶ。
その猟師に注文していたイタンキ昆布の注文は今も続き親類への贈り物になっている。
ウニがドンブリいっぱいに食べれた時代があったのですよね。私も潜って紫ウニやバフンウニを捕りその場で食べました。半分に割り指で掬って口の中へ。塩味が効いて美味しかったことを思い出しました。今では考えられないくらい安かった時代ですね。ウニの値が遠いあの時に戻って欲しい気持ちです。特にウニ好きには堪りませんね。
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