~ いまも残る浜への近道 ~
中学二年の夏まで輪西に住んでいた
イタンキ浜に来るには今の鶴中前の坂を登る
白いゴルフハウスがあり緑のゴルフ場があった
その横の路を歩き中央の岩の上に出る
岩の奥から手前を下りる
坂は急で注意しながら下り砂浜に出る
近道として今もある
ゴルフ場が白鳥台に移転したのは昭和四十一年
長い間ゴルフ場だった
そのクラブハウスを拡張した建物かと思い
室蘭ユースホステルの藤当さんにお聞きすると別だった
昭和四十七年に新築収容人員は七十二名
冬の利用者増が課題と
画家・写真家のスケッチ宿にPRは
中学二年の夏まで輪西に住んでいた
イタンキ浜に来るには今の鶴中前の坂を登る
白いゴルフハウスがあり緑のゴルフ場があった
その横の路を歩き中央の岩の上に出る
岩の奥から手前を下りる
坂は急で注意しながら下り砂浜に出る
近道として今もある
ゴルフ場が白鳥台に移転したのは昭和四十一年
長い間ゴルフ場だった
そのクラブハウスを拡張した建物かと思い
室蘭ユースホステルの藤当さんにお聞きすると別だった
昭和四十七年に新築収容人員は七十二名
冬の利用者増が課題と
画家・写真家のスケッチ宿にPRは
「小友さんの絵手紙散歩 No.50」2000.12.03 室蘭民報掲載
3 件のコメント:
ここの記載されたゴルフ場を横切りイタンキ浜に下りる近道は今の子供達も通過しているのだろうか。
ここに書かれている通り当時はイタンキゴルフ場のクラブハウスを右に見てゴルフ場を横切って急な斜面を滑り落ちる様なスリルと共にイタンキ浜に行くのが当たり前だった。
その道は残っているかは疑問となって残る。そのゴルフ場でゴルフボールを頭に受け痛い思いをしたのはyyffさん、そうして輪西2条広徳寺の現住職。
そんな思いが蘇る場所でもある。
イタンキにゴルフ場があったという生き証人が増えましたね。一番ホールのティーグランドから打ったボールがフックして見えない場所の斜面を登っていた少年二人のうちの一人の頭部に当たりました。その瞬間に気を失うのですが、少し上にいた兄が石でもぶつけたのかと思ッたが白いものが転がっていくのが見えゴルフボールが当たったんだとわかったのでした。そのあとのことは覚えていません。気がついたら輪西公園のそばの富士鉄病院のベッドの上でした。昭和36年か7年の出来事でした。痛い思い出は決して忘れませんね。今となっては懐かしいですね。
yyffさん>まだ小学生の頃の痛い思い出ですよね。
そんな近道を横切らなければならないところにゴルフ場があったなんて知っている人は少なくなっているはずです。
色んな思い出と共にイタンキの光景は昔のままの自然を残してくれています。
この先も思い出のこの自然は残して行きたいものものですね。
コメントを投稿