2007年3月4日日曜日

「消えゆく秋の風物詩」


~ 軒先を飾る「大根乾し」 ~

越冬準備と言う言葉を使わなくなったのは

燃料が灯油に変ってからだろうか

十月になると一冬分の石炭・コークス等の燃料と

白菜・大根等の漬物材料の話で賑ったのは

二十数年前の事だった

大根を乾している家も少なくなった

近所でも数軒で本数もわずか

ごはんに味噌汁と漬物時代の副菜の主は他の食品に変った

当時お客様の家に伺うと出されるのが丼に漬物

好きな物だからお茶を飲みながら頂く

秋から冬にかけて毎年胃を悪くしていた


「小友さんの絵手紙散歩 No.43」2000.11.05 室蘭民報掲載

3 件のコメント:

wakuwaku_koubou さんのコメント...

我家で石炭・コークスを燃料としていたのはもう何年前になるのか。
父親が家を建替えてからもう三十年近くになる。
それ以前までだったのか。思い出せない。
新日鉄から支給される冬のこういう燃料は玄関先に置かれ、それを玄関横のスペースに保管しここから出すのが毎日の仕事になっていた。
朝火を起すことから始まり残り灰を捨てるのも日課であったが、今はSW一つで後処理もいらない、そんな時代を懐かしむ年代になって来た。

匿名 さんのコメント...

大根の話はとても懐かしいです。農家からだったと思うが馬車に満載の大根を積み、社宅に来て売っていた事を思い出しました。
その後は馬車からトラックに変りましたね。
それから燃料については更に懐かしいですね。最初は石炭、すぐにコークスに変ったけど工房さん同様に新日鉄の支給されるものをアパートの地下にある各家の物置に入れておく。使用する度に小出しするのだが当時の住まいは四階で結構体力が必要でした。
新婚旅行で30年前に道内に入って驚いたのは各家に殆んどの灯油タンクが置いてあったという事でした。燃料が石炭やコークスから灯油に代わったんだと感じたことを今再び思い出しました。

wakuwaku_koubou さんのコメント...

yyffさん>同じ経験をくぐって来ていますね。
馬車で運んできた事もありましたね、コークス等も。
当時のアパートは出来たてで近代住宅が羨ましい思いでしたが、階段を物を運ぶ面倒さは分かります。
次第にそういう思いも薄れてきていますが逆に思い出して懐かしむ年代に差し掛かって来ました。