2007年4月17日火曜日

「東室蘭駅構内」


~ 座席起こし窓から乗車 ~

昭和二十年八月 戦争が終ると

客車の座席の厚い別珍状のシートが切りとられ

座席は板張りに変った

その年の九月か十月頃だったろうか

室蘭駅始発の列車が東室蘭駅のホームに入ると

座席を起し全員が立ちホーム側の窓を開ける

ホームには戦争が終り軍服の襟章をはずした人々が

家に帰る為大勢待っていた

昭和二十一年頃からは

海外から引揚げて来た人々も沢山いた

窓からの出入りが続いた

座ったまま帰れる様になったのは

何年頃からだったろうか
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.76」2001.03.05 室蘭民報掲載

2007年4月16日月曜日

「東室蘭駅東口」


~ 変遷重ねる工都の玄関 ~

東室蘭駅は明治二十五年輪西駅として営業開始

大正十年現在地に移転

昭和三年長輪線全通

現輪西駅設置で東室蘭駅と改稱

昭和六年工業都市室蘭の玄関口として

東室蘭駅と改稱し現在に至ると

小学校五、六年生の頃日曜日には

K君とスキーに行く

東室蘭駅で降り駅前通りの駅弁屋さんで弁当を買う

建物は少なかった

現在の寿橋の下に踏切があり

そこを歩いて知利別のスキー場へ行った

現蘭東中学校の山側がスキー場だった

昭和十八、十九年頃の話
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.75」2001.03.04 室蘭民報掲載

2007年4月14日土曜日

「小所帯の新室蘭駅」


~ 最盛期、職員数二千人 ~

先日旧室蘭駅OBの方に話を聞いた

昭和十九年国鉄に入り室蘭勤務

定年迄三十数年間あの駅で勤めた

当時の駅長室は立派で駅長の位も高く

出世コースの一つだった

駅と関連部署を入れると五百人の職員数

係々でやると出来るが駅としてのOB会は

人数が多く出来ないと言う

現在の入江運動公園は石炭荷役の国鉄埠頭を始め

機関区 貨車区 車掌区等

色々な施設があった昭和四十年最盛期には

駅を含め二千人の職員数

新駅は職員数四名と言う
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.74」2001.2.26 室蘭民報掲載

2007年4月13日金曜日

「不凍湖も結氷 今冬の寒さ」


~ 室蘭港カチンカチン ~

二月九日テレビの朝のニュースは

「釧路と厚岸は流氷と港の結氷で

漁船が出港できない」と

旧室蘭駅を見てから港へ行った

冬港に来るのは何年振りか

沖は別として岸壁近くは結氷していた

蓮の葉氷と言うが見るのは初めてだった

寒気はその後も続き

不凍湖と言われた支笏湖 洞爺湖も結氷

十日からの三連休で

水を落したが凍ったという鉄筋の建物の話

二十日には港の氷を取り除くフェリー埠頭の画像

寒気の被害続出
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.73」2001.2.25 室蘭民報掲載

2007年4月11日水曜日

「旧室蘭駅Ⅱ」


~ 明治四十五年に現在の地に ~

旧駅舎入り口横に案内板

文面の中に旧室蘭駅舎は明治四十五年に建され

北海道の駅舎の中では最古の木造建築物である・・・

人間なら今年は卆寿の祝

室蘭から岩見沢迄の鉄道が敷設されたのは

夕張炭鉱の石炭を積出するためで

明治三十年輪西~室蘭間が開通し

最初の駅は現長崎屋中央店向いのあたりで

一度他に移転

明治四十五年に現在地に新築したと言う

駅のホームの港側に石炭を貨車から降す設備があった

今年の様にシバレのきつい時は石炭車の下を開けるため

大きなハンマーで叩く音が響いていた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.72」2001.2.19 室蘭民報掲載

2007年4月10日火曜日

「旧室蘭駅Ⅰ」


~ 並んで改札待った往時 ~

中央町のプリンスホテル前の坂を下りた

突き当りのアパート一階の店は

移転先の張り紙を残し無人になっていた

そこから旧室蘭駅迄の旧線路側の建物は

全部撤去され雪の上に

「北海道胆振支庁合同庁舎建設予定地」

の大看板が見える

一面の雪原の遠くに見える旧駅舎は

移設された建物のような錯覚を起こす

中学生の頃は駅舎に続いて手小荷物取扱所

その先に改札口と出札口

改札迄取扱所の前に並んで待った

改札がすむと跨線橋を越えてホームに出る

線路の横に立ち並ぶ家々の裏側が見えていた
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.71」2001.2.18 室蘭民報掲載

2007年4月9日月曜日

「全国に知られる母恋駅」


~ 歴史に残る日鋼の争議 ~

母恋駅は母の日に贈る入場券で全国に知られている

景勝地球岬の最寄り駅でもある

今は話題になる事も少ないが

昭和二十年代末期政府のデフレ政策の強行で

雇用情勢の悪化と不況の中で

全国各地で長期の労働争議がつづいた

室蘭でも労働運動史に残る

昭和二十九年六月から十二月まで

一九三日間の日鋼争議が起きた

全国から集まった支援組織の人々も

この出札口を通ったのだろう

当時青年行動隊で働いた人々も

数年前に定年退職されている

思い出したくない事かもしれない
 

「小友さんの絵手紙散歩 No.70」2001.2.12 室蘭民報掲載