2007年10月29日月曜日

「カムイヌプリ」



桜新橋から見るカムイヌプリ(七四五メートル)は

山裾を大きく広げていた

アイヌの人達は畏敬の念をこめて神の山と呼んだのだろう

北海道の百名山には登別市のこの山は収録されていないが

同じ名のカムイヌプリ(摩周岳)があった

北海道の百名山の中でアイヌ地名と思われる

カタカナの山が二四山 漢字で書いているが

神威山・神居尻山とカムイを現わす山

山の名は変ったがカムイと崇められた山は沢山あったのだろう
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.186」2003.7.06 室蘭民報掲載

2007年10月28日日曜日

「川上B遺跡」



縄文早期(約九千年~六千年前)から

縄文後期(約四千年~三千年前)に

ヤンケシ川右岸の川岸段丘上に形成された

大規模な遺跡で登別では初の旧石器や

円筒上層式・北筒式・余市式・入江式などの土器

約八万点が出土し直径十二メートルを超える

大型住居跡をはじめ約一五〇の住居跡や

墓などの遺構が発見されています 登別市教育委員会

バス停若山町一丁目の近くで歩道から標識が見える

道央自動車道あたりなのか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.185」2003.6.29 室蘭民報掲載

2007年10月27日土曜日

「遺跡」



川沿いの巨木は三本の木が枝先で重なりあっていた

カエデ・トチノキ・ハルニレで樹齢100年と

道の右手に富岸神社ここの境内の木も太い

富岸神社遺跡の標識を読むと

縄文中期(約五千年~四千年前)から

縄文晩期(約三千年~二千二百年前)にかけて

富岸川左岸の川岸段丘に形成された遺跡で

縄文後期の入江式土器が出土しています

登別市教育委員会

住んだ期間は?

噴火・飢餓・疫病・外敵いずれだったのかと
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.184」2003.6.22 室蘭民報掲載

2007年10月24日水曜日

「ドングリの散歩道」



自然景観マップを持参すれば良かったのに

帰宅後見たので二度足を踏む事になった

前回は上流に向って右側を歩き同じ道を帰って来た

マップを見ると富岸神社の先の富岸東橋を渡り

上流に向って歩くと川沿いにドングリの散歩道と書いてある

国道三十六号線を起点に所要時間約一時間四十分のコース

バス停富岸小学校前で降りると往復一時間位だろうか

道は川と舗装道路の中間にあった

新緑が眩しい
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.183」2003.6.15 室蘭民報掲載

2007年10月21日日曜日

「富岸川Ⅱ」



富岸川の魚道を鮭が遡上すると自然景観マップで読んだ

どの辺まで登るのだろうかと興味があった

バス停富岸小学校前で降り川沿いの道を歩く

緑陽中学校富岸神社を横に見て道央自動車道の下をくぐる

護岸のブロックが終り川を分断する道があった

時計を見ると二十数分歩いていた

分断するコンクリートの道の上を水が流れ

川下側には大きな岩が沢山あった

カワガラスが一羽飛び廻っていた
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.182」2003.6.8 室蘭民報掲載

「シラネアオイ」



野の花の女王と呼ばれるのがシラネアオイ

花の径は五~八センチもあり

山でこの花と出会うとホッとする

登別市内でもバス停から十数分の所に咲く

数年この花を描きに通った

小学校の運動会の練習の音楽が聞こえる頃だ

ここ三・四年御無沙汰をした

花数が不安だったが笹を刈ったせいか花は増えていた

少し湿った場所を好むと言うが

笹の枯葉が表土の乾きを防いでいるのか

種子を植えて花が咲く迄五・六年と
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.181」2003.6.1 室蘭民報掲載

2007年10月19日金曜日

「エゾノリュウキンカ」



亀田公園でミヤマエンレイソウを描き終え

立って前方を見ると黄色い花

近づいて見るとエゾノリュウキンカが一株

水の流れる際に咲いていた

公園内をくわしく見ていないので解らないが

この公園では初めて見た通稱はヤチブキ(谷地蕗)

開拓者が近くの谷地から採って食べたのでついた名前と

数年前この花を一本頂き描いた

五枚と六枚の花弁

聞くとキンポウゲ科の花弁は枚数が一定でないと
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.180」2003.5.25 室蘭民報掲載

2007年10月18日木曜日

「ミヤマエンレイソウ」



亀田公園中央広場の掲示板に

園内に咲く代表的な花の名と写真の表示

今の季節ではオオバナノエンレイソウとシラネアオイの名

園内巡回警備の方にシラネアオイの咲く場所を尋ねたが

仕事違いで不明

あやめ園の近くに白い花のエンレイソウが沢山咲いていた

描きながらオオバナは上を向いて咲き

ミヤマは花弁の先がとがり横向きに咲くと図鑑に解説

目の前の花はミヤマエンレイソウ

オオバナノエンレイソウの咲く場所は?
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.179」2003.5.18 室蘭民報掲載

2007年10月16日火曜日

「エンレイソウ」



家の裏にエンレイソウが出始めて十数年になる

最初池を掘り金魚を放したが猫にとられ埋めた

埋めた土の中に種子が入っていたのか

今でも小さな三枚の葉が出てくる

描こうと思ったが風が強く

一株鉢に上げ水をたっぷり掛けたが葉は垂れ下がったまま

来客で中断したら葉は生き返っていた

描き終えて気付いたが花弁がない

他の花も見たがない

白花は花弁と図鑑を見る

エンレイソウには花弁がなくがくと
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.178」2003.5.11 室蘭民報掲載

2007年10月14日日曜日

「ミズバショウ」



亀田霊園入口横の池に小さな水芭蕉

霊園から公園迄は寄り道せずに歩くのだが

車止めの扉の所から上を見ると白い花の固まり

キクザキイチゲだった

そこから上を見ると水芭蕉が見えた

足許は小さなエンレイソウが蕾をつけている

踏まない様に注意して歩く

ここの水芭蕉も早過ぎた

公園のあやめの園の所で描く

新聞で見たとカメラ持参のご夫婦

帰り路池の先の所にキバナノアマナが沢山咲いていた
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.177」2003.5.4 室蘭民報掲載

2007年10月12日金曜日

「福寿草」



庭の福寿草は四株になった一株植えて三十年以上になる

昨年の移植で三度目だが最初植えた近くに沢山の芽が出ている

蟻でも種子を運んだのか何年目で芽が出るのか知らないが

二度目の移植が七・八年前今年初めて出た芽もある

針の様な茎にニンジンの葉を小さくした様な片葉

草とりの時間違えない様に

一昨年から笹竹を切り目印を立てた

葉は四方に広がり茎から測ると十センチ

花が咲く迄何年掛るのか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.176」2003.4.20 室蘭民報掲載

2007年10月10日水曜日

「蕗の薹」



フキノトウは春の使者

今年最初に見たのは二月下旬の絵手紙教室

大岸産と四月に入り雪解けの斜面でギョウジャニンニクの芽出し

庭に咲くフクジュソウ カタクリも小さな葉だが蕾をつけている

フキは好きで良く食べる煮物油炒めフキのみそ漬等・・・

中学二年生の時松葉油の採集の枝運びで

大滝村の山奥の飯場で二十日間暮した

みそ汁の実はフキだけだった

その後汁のフキは勘弁と
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.175」2003.4.6 室蘭民報掲載

2007年10月9日火曜日

「亀田霊園」



三月十七日朝

午前中に用事を済ませ午後から亀田霊園へ行く

外周の舗装道路は除雪されていた

一段毎に盛り土された芝生は出ていたが

道路から登る坂道 墓の前には

長靴が埋まる位の雪があった

持参の小さなスコップで除雪

雪の下は溶けて濡れていた

回りを見渡すとセーター姿で除雪している人が何人かいた

一日早いせいかお墓に供えた花も少ない

彼岸迄の約束か工事用の車が一台作業中
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.174」2003.3.23 室蘭民報掲載

「富岸川」



鷲別岳を前方に見ながら川沿いを歩く

道営住宅若山団地の裏で西富岸川と合流

亀田霊園の奥が源で亀田公園の中を流れ

ポスフール登別店の横を通り

店舗の裏で曲り富岸川に注ぐ

一月の長期予報の時だったか

「室蘭地方の根雪は例年三月九日で消える」

と報道していたが今年は例外の年になった様だ

暑さ寒さも彼岸迄と言うが明後日は彼岸の入り

霊園の通路は除雪して呉れるが

お墓の周りはどうなのか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.173」2003.3.16 室蘭民報掲載

2007年10月8日月曜日

「富岸川・河口」



バス停富岸で下車富岸川はすぐそば

国道を渡り海辺へ出る

川の両岸はコンクリート擁壁

川は砂地の中を蛇行して海に入る

渇水期なのか川巾はせまい

海に向って左側の擁壁の下には少しだが砂地がある

右側は傾斜護岸とテトラポットで埋められていた

川口を見るのは初めてだった

橋の上から川の流れを見ると魚道が見える

下水道整備と魚道が出来た事で

鮭の遡上が確認されたと言う
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.172」2003.3.9 室蘭民報掲載

2007年10月7日日曜日

「くじら岬」



前回離岸提を四箇所と書いたが寄り砂を見にもう一度行った

離岸提は大が六で小が一 計七基訂正お詫び申し上げます

小さな砂浜があった

これが離岸提が出来てから寄って来た砂なのだろうかと見た

何度か漁港周辺から見る鷲別岬は

イタンキ側から見る鯨の形と違うと思っていた

自然景観マップの写真の中に鯨の形の岬があった

傾斜護岸の場所から写している

これだけ離れて見ればと富岸寄りに歩く
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.171」2003.3.2 室蘭民報掲載

2007年10月5日金曜日

「鷲別海岸」



浜は護岸のテトラポットが続く

沖には離岸提が四ヶ所自然景観マップに

「離岸提のおかげで小さな砂浜が出来ている」と

その砂浜に気付かず帰って来た

浜から見る正面にはカムイヌプリの山

その裾の延長に蘭法華岬

その裏側の先端はと考えたが虎杖浜のポンアヨロ岬だろうか

あと白老沿岸では突き出た場所もないしと

この風景を鷲別岬の見晴台から見ると

市街地の家並

山も来馬岳と景色は広がる
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.170」2003.2.23 室蘭民報掲載

2007年10月3日水曜日

「ボウズ山」



自然景観マップ鷲別地区編を見ると

自動車学校上の山にボウズ山の地名

麓に上鷲別墓地と記載

登別市の墓地は富浦と亀田霊園の二ヶ所と思い込んでいた

墓地には古い墓石もあった

その少し先から坂道を登る 上にも家があった

ボウズ山への登り口はと迷ったが

家の裏に笹の斜面一人歩ける路がある

そこを歩く

下には自動車学校の教習コース

路は登らず横に進む 家並が見えた

若草町此処への近道だった
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.169」2003.2.16 室蘭民報掲載

2007年10月2日火曜日

「鷲別漁港」



沢山の海鳥が飛び防波堤の上で休む鳥もいた

この日は川口の砂浜で休む鳥は見えなかった

浜の人達はゴメと呼ぶ

カゴメが詰まったのだろうか

昔はこの海岸も砂浜だった

潮流の侵食で砂が流され

護岸工事が進み砂浜は無くなった

自然景観マップ鷲別地区編によれば

鷲別漁港が第一種漁港に指定されたのが

昭和二十六年(一九五一年)

登別漁港の竣工が昭和二十八年

太平洋側の砂浜のあちこちで

侵食され始めた頃だろうか
 


「小友さんの絵手紙散歩 No.168」2003.2.9 室蘭民報掲載