2007年2月28日水曜日

「室蘭変電所の横を抜けると・・・」


~ 送電線が『急カーブ』 ~

バス停 工大前から歩くいつもはバス通りなのだが

一本山手の住宅地の中の道を歩く ここを通るのは初めて

ここに遊園地 あそこが小学校 こちらの庭の花は何なのかと・・・

家の表札に知った方の名前

お住まいがここだったのかとお顔を思い浮かべる

北電室蘭変電所の横を抜けると高圧送電線下の巾広い道

高砂五丁目と四丁目の境界線でもある

坂の上の鉄塔を見上げる右手変電所から出た線を

鉄塔で受け止め後方に伸びている

鉄塔の送電線は真直な物と思い込んでいた目には

珍らしい物を見た思い


「小友さんの絵手紙散歩 No.39」2000.10.22 室蘭民報掲載

2007年2月27日火曜日

「室蘭工業大学」


~ 「学生街」に秋の薫り ~

ある会合の雑談の中で平均年齢の話になった

どこの町会も高齢化が進んでいる

その中で水元町会の会長さんが

「うちは若いですよ 室工大の学生さんがいるから」と

室工専から国立大学に昇格したのは昭和二十四年

その後学部が増え 教室 研究棟も増えた

店も大学横に宮本商店が一軒だけだったが街並も大きく変った

学生の街の看板も変った

ハイツ・コーポ・マンションで 荘・下宿の字は

表通りでは見掛けない

大学正門横の銀杏の葉は黄ばみ始めていた


「小友さんの絵手紙散歩 No.38」2000.10.16 室蘭民報掲載

2007年2月26日月曜日

「ユートピア牧場」


~ 馬喜ぶ孫の姿思い出す ~

バス停室蘭ろう学校前で降りる

歩道のナナカマドの実は赤くなっていた

室蘭聾学校の建物はシートで覆われ工事中だった

道央自動車道の高架下で舗装道路は終る

道の左側にユートピア牧場が広がる

右手の鷲別川を渡ると登別市

この山の上の牧場が有名だが登った事はない

道端の草むらに椅子を置き牧舎を描く 馬の姿が見えない

二、三年前孫が遊びに来た時馬を見せるためここに来た

親馬子馬が走っていた

馬を見るのが初めてだったのか大喜びだった


「小友さんの絵手紙散歩 No.37」2000.10.15 室蘭民報掲載

2007年2月25日日曜日

「オンコの下に芽出す山椒」


~ ヒヨドリが種を運ぶ ~

山椒の実が赤くなった

間もなく赤い皮がはじけ黒い実を出すのだろう

以前不思議に思った事があった

オンコ(櫟)の木の下に山椒の木が芽を出す

そんな事が何度かあり今も一本伸びている

オンコは建物の東側 山椒は西側 離れている

数年前の秋 山椒をついばんでいるヒヨドリを見た

山椒の木からオンコの木に飛び種を落して発芽

逆の山椒の木の下からオンコが発芽した事はない

先年入江運動公園の裏山を歩いていたら

沢山の山椒の木があった

ヒヨドリの鳴き声も聞えていた


「小友さんの絵手紙散歩 No.36」2000.10.08 室蘭民報掲載

2007年2月24日土曜日

「佛前の赤い小菊一本」


~ 彼岸を過ぎて咲く ~

起きると強い雨外は暗い

毎朝描く定期便の画材を決めていなかった

佛前の赤い小菊を一本抜き取り部屋のコップに挿した

葉は全部茎に沿って上向きになっている

描くため葉を横向きにしてみたがすぐ元に戻る

葉の緑は明るく薄い

御供え用に束ねる時 出荷する時は

この形の方が扱い易くその為に改良されたのだろう

描くとなると話は別で葉は濃緑で厚く横向きにとなる

小菊は佛前に戻した

雨上がりの午後夏菊の表示を見て買った苗

彼岸過ぎに咲き始めそれを描く


「小友さんの絵手紙散歩 No.35」2000.10.02 室蘭民報掲載

2007年2月23日金曜日

「花の名はユウゼンギクでした」


~ どこにでも生える ~

九月二十五日号に 薄紫の花は

エゾノコンギクかユウゼンギクなのかと書きましたら

すぐ電話を頂戴致しました

昨年 室民紙上に「胆振地方の野の花たち」を連載された

イブリ植物友の会代表の尾崎さんでした

「簡単な見分け方として エゾノコンギクは群生しない

葉の両面はざらざらしている 外来種のユウゼンギクは

葉の両面がなめらかで抱茎

花の色の濃淡 草丈の高低は関係ない

北アメリカ原産で 道端 空き地 鉄道線路脇等

どこにでも生え増える」と

友禅菊と書くがイメージが結びつかない


「小友さんの絵手紙散歩 No.34」2000.10.01 室蘭民報掲載

2007年2月22日木曜日

「楽山からの眺め」


~ 室蘭岳秋色 渡島も一望 ~

太平洋側には渡島半島が見える

先端は恵山岬なのだろうか

午後の光は栄高校の裏山も鯨半島も黒く鋭い形に見える

広々とした海 浮ぶ雲 時折吹く風も心地良い

家はこの下の中腹にある

近道をして帰ろうかと思ったが来た道を戻る

正面に室蘭岳が見える緑の色も変ってきた

来る時気付かなかったが足元の草むらに虫の声

つい先日迄は道横一面に咲いていた黄色の花は姿を消し

薄紫の花に変っていた

エゾノコンギク 帰化植物のユウゼンギクどちらなのかと思いながら


「小友さんの絵手紙散歩 No.33」2000.09.25 室蘭民報掲載

2007年2月21日水曜日

「標高八十三メートルの知利別公園」


~ 澄んだ秋空 街並み一望 ~

知利別公園の標識のある所から登る

長雨の後 道はすべるかと思ったが

一日晴れた翌日なので心配はなかった

ススキの穂は綿毛を出していた

天神町 知利別中島町の街並が一望出来る

キノコ形の屋根の付いた椅子に掛ける

足元に山ぶどうが落ちていた 酢ぱくて捨てたのか

標高八十三メートル弱の楽山

戦後木は燃料に 斜面は薯や野菜の畑になった

再び木を植えられたのは何年頃からだったろうか

ムクゲの花も咲いていた

逆光の測量山

澄んだ秋空は駒ケ岳を見せて呉れた


「小友さんの絵手紙散歩 No.32」2000.09.24 室蘭民報掲載

2007年2月20日火曜日

「ヒマワリ」


~ 野鳥が冬に『種まき』 ~

ゴッホと言う声で振りむくと

女性の一人が八重咲きのヒマワリを指していた

家に帰りゴッホの画集を見ると

八重咲きだけでなく一重咲きも描かれていた

毎年数本のヒマワリが庭に咲く

昨年は家の軒を越す高さになったのもあった

最初植えもしないものがと思っていた

冬野鳥の餌台にヒマワリの実を入れておく

実をくわえて好みの小枝に止って食べるのがシジュウカラ

この鳥が落した実から芽を出すのだろう

餌台の下は定位置

あとは芽が出て気付く


「小友さんの絵手紙散歩 No.31」2000.09.18 室蘭民報掲載

2007年2月19日月曜日

「クサフヨウ」


~ 鮮やかな淡紅色 ~

花はムクゲの倍位 茎を見ると木ではなく草

背丈は一メートル以上

数本並ぶと淡紅色の花は色鮮やかに目立つ

花の名を聞くと「クサフヨウ 一本差上げます」

と頂戴したのは数年前 家の裏に植えた

昨年部屋の窓から見える場所に植え替え株分けもした

花は一日でしぼむが次々と咲く

百科事典で「ふよう」の項目を見ると

近年よく似た北アメリカ原産のアメリカフヨウが栽植されるが

中略 茎は冬季枯れるので区別できる

本名よりクサフヨウの語感が好きだ


「小友さんの絵手紙散歩 No.30」2000.09.17 室蘭民報掲載

2007年2月18日日曜日

「コスモス」


~ 親しみ感じる「秋桜」 ~

八月から九月にかけて

家の庭 街路樹の根元などで見掛けるのがコスモス

単純で整った形の花 優しい風情の葉 親しみ易い色

和名の秋桜はこの様なことで名付けられたのでしょうか

字の方は最近見ることがない

明治の中ごろ当時の東京美術学校の教師であったイタリア人が

種子を持って来てひろまったと言う

全国的に植えられる様になったのは昭和初期と

キク科の一年草だが種子が落ちて増え

栽培にも手間が掛らないので

全国あちこちにコスモス高原が出来ていると聞く


「小友さんの絵手紙散歩 No.29」2000.09.10 室蘭民報掲載

2007年2月17日土曜日

「清滝不動尊の石仏」


~ 霊験あらたかな湧水 ~

小学生の頃お不動さんの水は

眼病にきくと聞き何度か水を汲みに来た

今年一月に発行された天神町会「四十年の歩み」を読むと

清滝不動尊の発祥として

明治十四年開拓に入った武士団員三名が

天神山の麓に木の実拾いに入って滝を見つけ

滝壺から一振りの剣を発見したという

開拓者の長男高橋栄作氏が

眼病に苦しみこの霊水で病をなおした

霊験あらたかな水に感謝し

碑に「不動明王」の名と年号・氏名を刻み湧水脇に安置した

この碑は今も奥の院正面祀の間にすえつけている・・・・・と


「小友さんの絵手紙散歩 No.28」2000.09.04 室蘭民報掲載

2007年2月16日金曜日

「清滝不動尊」


~ 懐かしい小一の遠足 ~

清滝不動尊例大祭は新聞広告で知った

二十八日の本祭は雨 二十九日に行く

小学生の頃は何度か来たがそれ以来である

狛犬懐かしかった

建立は昭和十五年六月二十八日

最初にここへ来たのは小学校一年生の遠足

昭和十三年母も祖母も初めての遠足 辨当を届けると言う

遊び終って昼食になった 辨当はまだだった

友達はおにぎりやるよと言ってくれた

その頃バスの終点は知利別だった

又鳥居の所へ行き知利別の方を見る

母と祖母が歩いて来た

涙寸前だった


「小友さんの絵手紙散歩 No.27」2000.09.03 室蘭民報掲載

2007年2月15日木曜日

「中島町知利別川 らん蘭橋」


~ かもが集まる「鳥の川」 ~

昨年は六月 アヤメの咲いている時この場所で描いた

らん蘭橋の上では小学生の写生会

橋上の広場に上らず帰った

今年広場に立つと室蘭市の立派な案内板

知利別川の「チリベツ」の名の由来は

アイヌ語の「鳥の川」を意味する「チル・ベツ」であり

鳥の多く集まる川という意味

昔は数万のかもが群集していたとのことです

現在でもこの川にはたくさんの鴨が集まってきております・・・・・と

中学一年生 八丁平の飛行場建設に来た頃は

このあたり一面谷地だった


「小友さんの絵手紙散歩 No.26」2000.08.28 室蘭民報掲載

2007年2月14日水曜日

「中島町知利別川の遊歩道」


~ 初秋の花の「名所」 ~

先日セイタカアワダチソウを見かけなくなったと書きましたが

新日鉄球場前の線路横は

東室蘭駅迄続くのではないかと思う程

一面黄色の花 訂正させて頂きます

家の近くでムクゲの花が咲き始めました

ムクゲと言うと中島町知利別川横の遊歩道です

ハイビスカスに似た花で中国から古く園芸種として入って来た

和名は木槿

一つ一つの花は一日でしぼむのですが次々と咲き

九月末頃迄楽しめます

生長した木々 花色の多さ 立派なムクゲロード

初秋の花の名所の一つ


「小友さんの絵手紙散歩 No.25」2000.08.27 室蘭民報掲載

2007年2月13日火曜日

「桑の実、木いちご」


~ 子供の頃思い出の味 ~

子供の頃山で 桑の実 木いちごを食べた

四、五年前になるだろうか

物置き前で仕事をしていたら話し声が聞える

「これは食べられるの甘くておいしいの」

と言いながら食べて見せているのだろう

そのうち子供もつまんで食べている様だった

「家に帰っても木いちご食べたと

お母さんに言うのでないよ」と

帰る後姿を見ると近くの入学前の孫娘と祖母

三年程前グーズベリーが青い頃孫が来た

青い実を自分で採り食べていた

今年赤くなった実を採ってやったがもう食べない


「小友さんの絵手紙散歩 No.24」2000.08.21 室蘭民報掲載

2007年2月12日月曜日

「オオハンゴンソウ」


~ 秋告げる黄色の花群 ~

新日鉄病院前の坂を昇る左手に黄色の花の群生

草丈二メートル近いオオハンゴンソウ

北アメリカ原産で

観賞用に栽培されていたものが野生化したと言う

先日亀田霊園へ行く時公園入り口近くで

一面黄色のこの花を見た

七月末から八月お盆頃に咲く

以前黄色の花の群生と言えばセイタカアワダチソウだった

花粉症の原因と言われてから姿を消した

ヤエザキオオハンゴンソウは庭に植栽もされている

ハナガサギクと呼ぶ

香川工業団地近くの道横にも一面黄色の花

室蘭岳上空の雲は秋雲に変った


「小友さんの絵手紙散歩 No.23」2000.08.20 室蘭民報掲載

2007年2月11日日曜日

「珍重がられた日本産のユリ」


~ 「美しさ」欧州で絶賛 ~

オニユリは古く中国から渡来 栽培品が野生化

この球根が中国から英国に渡ったのが一八〇四年

赤い斑点があるためタイガー・リリーと呼ばれた

日本産のスカシユリとカノコユリはシーボルトによって

ヨーロッパに渡った

カノコユリは園芸雑誌で「最高の美しさ」と絶賛され

園芸家 植物採集家達はユリを目的に来日

日本のユリが次々とヨーロッパに紹介された

ユリはヨーロッパで一年越すと

その球根から芽が出ないため毎年輸入

明治期の貴重な輸出品

日本のユリが母体で新品種が約4百種と


「小友さんの絵手紙散歩 No.22」2000.08.13 室蘭民報掲載

2007年2月10日土曜日

「アジサイ」


~ 日本から西欧に渡る ~

ガクアジサイは日本原産

ヨーロッパに渡り改良され

現在見るマリ状のセイヨウアジサイとなって里帰りしたと言う

通常花ビラと見ているのが中性花(飾り花)で

中央の小さな玉が花

ガクアジサイも飾り花が取り囲む中央に小さな玉が沢山ある

その玉がはじけ 今花が咲いている

江戸時代末期に来日し日本人に医学を教えた

ドイツ人シーボルトは 日本人妻タキの名にちなんで

アジサイに「オタクサ」と名付け学名の中に残っている

アジサイの仲間は「さし木」で殖せる


「小友さんの絵手紙散歩 No.21」2000.08.07 室蘭民報掲載

2007年2月8日木曜日

「イタンキ浜」


~ ハマナスの実色付 ~

地名を聞く

砂の上に棒で『いたんきはま』と書く

孫は一字づつ声を出して読む

娘は鯨半島を指して「何に似ている」と聞く

「さめ」他の答えも出たが鯨は無かった

娘に「地図にはイタンキ岬」と

今年小一の孫娘 三歳の時ここへ来たのは憶えていなかった

波打ち際で寄せる波に声はり上げて逃げ廻り離れ様としない

貝殻を拾ってやると「帯広に持って帰っていいか」と聞く

鳴り砂の浜へ行く途中ハマナスの花を見せる

実が沢山色付いていた

孫が「雨」家内は「携帯電話があれば」と


「小友さんの絵手紙散歩 No.20」2000.08.06 室蘭民報掲載

2007年2月7日水曜日

「室蘭港崎守漁業区」


~ 白浪立て漁船出入り ~

防波堤に椅子を置き描いていた

奥から漁船が白波をたて出て来た

一隻又一隻 帰って来た船もある

ここに漁港があったのかと行って見る

港全体を見ていた眼には小じんまりと見えたが

機能的には秀れた設計と思う

船尾に室蘭市と書かれた船もあった

港湾部の所属なのか

地図が少し古いのか漁港の名は書いていない

市役所OBの友人に電話で聞くと調べて呉れた

室蘭港崎守漁業区と言うと

普通漁港と言うと農水省の管轄だそうだが

崎守漁業区は運輸省の管轄と


「小友さんの絵手紙散歩 No.19」 2000.07.31 室蘭民報掲載

2007年2月6日火曜日

「室蘭港北外防波堤から」


~ 海霧に隠れた駒ケ岳 ~

崎守町でバスを降り防波堤迄歩く

子供の頃誰と一緒だったか白防波堤迄輪西から歩いてきた

こんなに遠くなかった筈と思いながら防波堤の竣工板を読む

室蘭北外防波堤 昭和四十七年11月完成

地図を見る

子供の頃きた白防波堤は陣屋の日石三菱製油所の前にあった

防波堤の先端から見える景色はと思って来たが

対岸の駒ケ岳も海霧のせいか見えない

後ろに見える筈の室蘭岳も雲の中

長袖を着てきたが風が強く寒い

釣り人達は上下しっかり着ている

防波堤の先端迄行くのはやめた


「小友さんの絵手紙散歩 No.18」 2000.07.30 室蘭民報掲載

2007年2月5日月曜日

「名作の月見草の正体は」


~ マツヨイグサの仲間 ~

帰化植物の研究家 浅井康宏氏は

富士山周辺にはツキミソウの生育記録がなく

本来のツキミソウはマツヨイグサの仲間で

白い花をつけ江戸後期に メキシコから渡米

性質が弱く野生化した姿は見られない

「太宰治が見たのは夕暮れの富士を背景に

鮮黄色の花を咲かせた

オオマツヨイグサかメマツヨイグサでしょう」

太宰が滞在した当時の宿の主人夫妻は

「このあたりではマツヨイグサの仲間を総稱して

月見草と呼んでおります」

研究者と俗稱の違いだが 待宵草では・・・

サライ一九九六年八月十五日号参照


「小友さんの絵手紙散歩 No.17」 2000.07.24 室蘭民報掲載

2007年2月4日日曜日

「感謝の特訓 海水浴入門」


~ 遠浅の砂浜まで歩く ~

朝の連続ドラマ「私の青空」

夏休みの小学校一年生太陽君が

大間の祖父母の家で躾の特訓を受ける

泳ぎを習う場面もあった

中学へ入学した年 夏休み直前五年生(旧制)のNさんが

一年生を集め「泳げない者手を上げれ」五、六名いた

翌日から朝輪西駅前に集合

Nさんの引率で輪西貨車職場の前から日鉄構内を通り

今の日鉄セメント前迄歩く 当時遠浅の砂浜だった

「海水を一斗(十八リットル)飲めば泳げる様になる」

帰りも歩く

一週間だったか十日位いだったか 全員が泳げる様になった


「小友さんの絵手紙散歩 No.16」 2000.07.23 室蘭民報掲載

2007年2月3日土曜日

「ホタルブクロ」


~ 蛍とらえ花を提灯に ~

9日 NHK趣味の園芸はホタルブクロの話

昨年 薄えんじ色の花を一本頂戴して庭に植えた

花の名は蛍をとらえ花を提灯代わりにした事からと聞いた

一本の茎は十二本に増え二十数個の花をつけた

沢山の蕾もついている

風にゆられる様子を見ていると 左右のバランス

復元する強靭な茎 葉の出る所から微妙に曲がる

この角度も力の吸収に作用しているのだろうか

昨年落ちた種から発芽したのか一枚葉の株もある

繁殖力の旺盛さに驚くが白の花のゆれるのも見たい


「小友さんの絵手紙散歩 No.15」 2000.07.17 室蘭民報掲載

2007年2月2日金曜日

「バス停 伊能橋付近」


~ 伊能忠敬が測量で通る ~

バス停 春雨橋と本輪西小学校の間に 伊能橋

命名の標識でもあるのかと探したが無かった

道の正面に測量山が見える

何度か鈴かけ団地に来た事があるが車に便乗で気付かなかった

歩道横の空地に椅子をおき座って描く

電柱が高く見える

伊能橋の件 地方史研究会のM氏に電話で聞く

伊能忠敬は 一八〇〇年六月室蘭に入り測量をした

本輪西のその橋の近くに水元町に行く細い道がありそこを通った

それでと 川も改修され橋跡も不明だが地名だけ残った


「小友さんの絵手紙散歩 No.14」 2000.07.16 室蘭民報掲載

2007年2月1日木曜日

「艦砲射撃犠牲者慰霊碑」


~ 四百二十七人の命奪われる ~

五十五年目の夏が来た

中島本町二丁目

新日鉄のアパートが立ち並ぶ中に遊園地がある

その一隅にこの慰霊碑が建立されている

道の向かい側はエレガ

市史によると十五日の艦砲射撃による被害は

死者四百二十七人 負傷者二十三人

家屋の被害と続くのだが

死傷者の氏名さえ完全には明らかでなく

その数についても根拠となる資料が

なんであったのかもはっきりしていない と

当時中学二年生

今の大滝村の山奥に二十日間の勤労動員

松葉油採集の枝運びの作業

砲弾の落ちる地響きをあの山で聞いた


「小友さんの絵手紙散歩 No.13」 2000.07.09 室蘭民報掲載