2007年1月31日水曜日

「新日鉄本輪西水源池」


~ 一面覆うフランス菊 ~

本輪西小学校前でバスを降りる

斜め前に栗林公園 その角に町名表示板

その地図の中に新日鉄本輪西水源池と

正面柵に立入禁止の札

室蘭市の都市地図を見る

水源池の角を通る道がある

水面の広さは新日鉄知利別水源池の1/4位だろうか

右手道路を行く

人家の最後の所で舗装は終り

車一台が通れる山道となる

道の両側は笹と雑木林

前方を狐が横切る

有刺鉄線の柵越しに水面が見える

堰堤の上はフランス菊の白い花で一杯

帰路道端にミズヒキが沢山あった

花はお盆頃か


「小友さんの絵手紙散歩 No.12」 2000.07.03 室蘭民報掲載

2007年1月28日日曜日

「本輪西八幡神社」


~ 眼下に室蘭港を一望 ~

表参道 見上げると百七十三段の石段

右手には車道の案内板

数えながら昇ったが休んで数を忘れる

御社殿の周囲は草も刈られ休むベンチもある

眺望が良く眼下に本輪西の家並

特異なウインズの大屋根

測量山と室蘭港が一望

夜景も素晴しいのだろう

昭和四十八年御遷座百年記念事業として

御社殿 社務所を新築 様式は神明造

境内地五千四百坪 室蘭市保全樹林指定区域

御社殿左手下に標識 基準水準点

北海道七地点の一つ 国土地理院

帰りは裏参道を降りる


「小友さんの絵手紙散歩 No.11」 2000.07.02 室蘭民報掲載

2007年1月27日土曜日

「鎮守の森 幡守神社」


~ 九月第一日曜に祭典 ~

五月二十九日号に崎守神社を描いたら

友人が 室蘭地方史研究会発行の会報で

清水丘高校の生徒が調査した

室蘭の神社と祭のレポートを読んだ事があるがと

元室蘭清水丘高校教諭で地方史研究会会員のM氏に電話

会報 茂呂瀾が送られてきた

昭和六十一年発行 創刊二十周年記念号だった

室蘭のまつり 室蘭清水丘高等学校郷土研究部

読むと市内には 杜 祠(ほこら)だけでも約七十社

室蘭のお祭りは五月末の絵鞆神社から始まり

九月中旬 香川八幡神社祭典で終る

幡守神社の祭典は九月第一日曜日と記載


「小友さんの絵手紙散歩 No.10」 2000.06.25 室蘭民報掲載

2007年1月25日木曜日

「石川町幡守神社」


~ 石川邦光らの守り神 ~

長い間この神社を崎守神社と思っていた

バスの中から見ると本州の鎮守の杜と同じ佇い

昨年初めてこゝへ来た

石碑には幡守神社

読み方も識らなかったが どうして地名でないのか

と言う疑問の方が先だった

室蘭市史に

室蘭郡の支配を命ぜられた石川邦光は

仙台藩の一門 角田藩の旧藩主

明治三年添田龍吉ら四十四戸五十一人が入植

苦労の連続

その守り神として明治七年(一八七四年)建立

市内三番目の神社

明治三十四年故郷角田幡守神社から

社名公稱の許可を得る

石川町の町名も旧藩主名か


「小友さんの絵手紙散歩 No.9」 2000.06.19 室蘭民報掲載

2007年1月24日水曜日

「琉球ツツジ」

~ 海霧の季節に白い花 ~

衣替えの季節

テレビでは 本州の高校生の夏服姿

庭の琉球ツツジの花が咲き始めた

家を建てた翌年位に父が持ってきた

樹高二十五センチ位

今は樹高一七〇センチ枝先から枝先まで三メートル弱

植えて三十年 庭木の古参

先年の五月中旬 大阪城公園でつゝじの剪定を見た

少し残った花毎枝切りをしていた

聞くと 木の成長を止めるのと

梅雨時病害が発生しない様に

枝詰めをしない無精が大きくしたとも言える

白い花が咲くと朝夕は朝霧

日中の晴れが牧草の成長に最適

太平洋岸に牧場が多いのはその為と


「小友さんの絵手紙散歩 No.8」 2000.06.18 室蘭民報掲載

2007年1月23日火曜日

「黒ユリ」


~ 湿った草原好み咲く ~

五月三十日の朝刊

黒ユリ咲いたとカラーで報道

昨年一株咲いた黒ユリは三株に増えた花は蕾

記事を読み鳥害の大変さを識ったが

庭で増えているので不思議に思い 図鑑を見る

湿った草原に生えるの記述

クリンソウを一株頂き

四株になる迄 十年位掛ったのだろうか

一昨年ラジオで サクラソウの仲間は

湿った場所が生育の適地と聞き

湿気がある場所に移植

今年 花の咲いている株を数えると十五本

花をつけていない株もある

環境はどうなのか


「小友さんの絵手紙散歩 No.7」 2000.06.11 室蘭民報掲載

2007年1月22日月曜日

「チマイベツ川の生き物達」


~ 流域は生活の宝庫 ~

昨年の観察会は6月20日

トチノキの花が満開の時

植物は イブリ植物友の会代表の尾崎さん

水生動物は 室蘭土木現業所の職員の方が解説

この流域全体では約四六〇種程の草木が自生しており

この河畔林で初めて確認された樹木として

エゾエノキ 国蝶オオムラサキの食草

野鳥が運んだのかと

川の中には五十六種の底生生物がおり

十五種の魚類と花に集まる昆虫は

二十六種の野鳥達を潤している

上流には 開拓以前の自然が残り

下流の黄金町側の急斜面は

人工林もあるが自然林が保全されている



「小友さんの絵手紙散歩 No.6」 2000.06.05 室蘭民報掲載

2007年1月21日日曜日

「チマイベツ橋から」


~ 生物育つ豊かな環境 ~

崎守神社上の道を少し歩くと 左手に

室蘭市が平成四年に開設したふれあい市民農園がある

道は黄金町に通じている

左手海側に下りる

漁家が数軒と海岸に漁船

海岸沿いを歩くと千舞別橋

室蘭市と伊達市の境界

チマイベツ(焼いて干した鮭の多くある場所)

昨年川辺を学ぶ観察会に参加した

室蘭岳を源としたこの川は

室蘭市の上水道水源 稲作灌漑用水 孵化場

住民の生活用水として利用されてきた

保全されてきた河畔林は

豊かな河川環境をうみ 多くの生き物が育つ


「小友さんの絵手紙散歩 No.5」 2000.06・04 室蘭民報掲載

2007年1月20日土曜日

「崎守町の史跡」


~ 勤番所と砲台跡眠る ~

道の横にムロラン地名発祥の坂と書かれた標識

登ると室蘭で最初に佛教活動を始めたと言う元室蘭仙海寺

坂は少し緩やかになり 内村牧場の看板

左手下に崎守神社

室蘭最古?と言うが 立て替えて格調高いお社

その横に史跡の案内板

神社の上がポロシレト台場勤番所跡

参道の階段横に砲台跡の標示

室蘭市史の中に 万延二年大砲を試射

目標の十町(約千メートル)に対して 遠くて一町

近いのはわずか一・二間前に落下の記録が

南部家に残っていると

バス停崎守町から徒歩十分

「小友さんの絵手紙散歩 No.4」 2000.05.29 室蘭民報掲載


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2007年1月19日金曜日

「南部陣屋の杉」


~桜花と対なす絵模様~

「むろしん」さんの暦の絵は北浦先生の「陣屋町の春」

机の横に貼り毎日見ている

資料館の上の道 山側の杉は戦後町会婦人部で植えたと聞く

樹齢五十年以上になる

史跡東蝦夷地南部藩陣屋跡 モロラン陣屋跡の碑文

史跡の桜は満開に近かった

杉の濃緑と桜のピンクの花が見事に調和していた

土塁を一廻りした

大杉の樹齢は百五十年近い

所々に昭和二十九年の洞爺丸台風で倒れた

木の跡が残っていた

ペケレオタ(明るい砂浜の意味)三十数年前

子供達をここの海水浴場で遊ばせた

杉と水田 砂浜の街は白い白鳥大橋の完成で又変貌した

「小友さんの絵手紙散歩 No.3」 2000.05.28 室蘭民報掲載

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2007年1月18日木曜日

「室蘭市民俗資料館の裏」


~ 白い花が一面に咲く ~

五月十二日雨

 「資料館の裏に白い大きな花のエンレイソウが咲いていた」と

十五日晴 白い小さな花が一面に咲いていた ニリンソウだった

所々に咲く白い大きな花は ミヤマエンレイソウ

無いのを知りながら オオバナノエンレイソウを期待していた

カタクリの花は終わっていた

ミズバショウは緑の葉だけ

一昨年ここへ来たとき ミズバショウは全部倒されていた

資料館の裏口から出てきた人は

「子供達の騒ぎ声が聞こえていたが」と

白い苞はそのこ事と関係があるだろうか

隣は鉄骨の建物の建設中

バス停 陣屋から徒歩五分


「小友さんの絵手紙散歩 No.2」 2000.05.22 室蘭民報掲載

2007年1月16日火曜日

「本輪西の栗林山林環境緑地保護地区」


~ 山野草豊富な散歩道 ~

山道に入ると左右は針葉樹林

シジュウカラ カワラヒワの囀り 川の水音

白い花はキクザキイチゲ ピンクはカタクリ

道横にはエンレイソウのエンジの蕾

樹木が若葉を出す前に

陽光をたっぷり浴びて咲く花達である

左手奥の水辺には

白い苞と緑の葉が鮮やかに見えるミズバショウ

その横には有毒で知られているバイケイソウ

時々車も通り車寄せも何箇所かある

山道の終り近くの水辺に 黄色の花エゾノリュウキンカ

二年程前一本だったのが四本に増えていた

身近に山野草の見れる散歩道である

「小友さんの絵手紙散歩 No.1」 2000.05.21 室蘭民報掲載

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